今月は亡くなった方々を思い起こし、彼らの永遠の安息を願って祈り、犠牲を払い、ミサを捧げる日々でした。
それは、わたしたちを含めて「いつまでも主とともにいるため」です。
「主とともにいる」ことがどんなことを意味し、どのような状態なのかはわかりません。
しかし、心地よくいいことであるはずです。
その心地よさを今日もあじわわせてください。主キリストによって、
アーメン。
わたしたちが信じるイエス・キリストは、わたしたちの救いのために、すべてをご自分のもとに支配されます。
つまり、神が、わたしたち人間にとってすべてとなるためです。
それが天の国での生き方なのでしょう。
この世では、自分の思いが優先することばかりです。
イエスさま、あなたに生かされている一日を、今日、感じさせてください。
アーメン。
わたしたちの信仰は、油断すると独りよがりの信仰になりがちです。
すべてが自分のためにプラスにならないと不機嫌になりそうです。
しかし、イエスさまの死と復活は、生きている人にとっても、死んだ人にとっても「主」となるための業です。
すべての人がイエスさまのもとに集められるのです。
わたしたちの間に命の優劣はありません。
わたしたちの信仰を増してください。
アーメン。
ありがたく押し戴く心」は、人であれば誰もが持っています。
ところが、この心がいつも発揮されているわけではありません。
ありがたいと思う時だけでなく、日頃の生活の中で、この心が働くように訓練することが大事です。
イザヤの言葉を実感できる度に、この心は働いています。
今日も、その日でありますように祝福し、お守りください。
アーメン。