「仕えること」が気持ちよくできる時とそうでない時があります。
自己を中心に思う時に乗り気になれないように思います。
主よ、あなたは、あくまでも人類のために十字架の犠牲を担われました。
あなたのその思いを今のわたしに分け与えてください。
仕える尊さを悟らせてください。
アーメン。
わたしの祈りは、先ずお願いから始まることが多いです。
しかし、先ずは、主は賛美されることが望ましいのです。
だって、あらゆるところでわたしを支え、励まし、恵みを与えてくださるからです。
でも、主はそれを自ら要求なさいません。
改めて、主の支えに喜びをもって感謝できますように。
アーメン。
わたしたちは一人ひとり賜物をいただいています。
そして、個々に違う賜物です。
しかし、この「いただきもの、預かりもの」という意識が、いつの間にかどこかに忘れられていきます。
「異なっている」というのは、誰かに必要とされているということでもあります。
これが奉仕となるのでしょう。
今日も、望まれる人への奉仕ができますように。
アーメン。
人は一人ではすべてのことができません。
生きることすらままなりません。
陰に陽に、多くの見えない方々に支えられています。
それでも、不自由することがたくさんあるのが現実です。
今日もそのことを感じる時があるかもしれません。
しかし、そっと支えてくれる人はいるのです。
迷わず前に進めますように。
アーメン。
助け合いの心は神にも人にも喜ばれます。
共に同じものを保有できることは、人に安心感を与えます。
その上、親しさをも感じます。
その仲間の輪が広がっていくところに、「共同体」が自ずと誕生します。
今日も、そのための言動を蓄積できますように。
アーメン。