2017年10月30日の聖書の言葉

人の子が来たのも、仕えられるためではなく、仕えるためである(マタイ 20:28)

「仕えること」が気持ちよくできる時とそうでない時があります。

自己を中心に思う時に乗り気になれないように思います。

主よ、あなたは、あくまでも人類のために十字架の犠牲を担われました。

あなたのその思いを今のわたしに分け与えてください。

仕える尊さを悟らせてください。

アーメン。


2017年10月23日の聖書の言葉

喜びをもって主に仕えよ(詩編 100:2)

わたしの祈りは、先ずお願いから始まることが多いです。

しかし、先ずは、主は賛美されることが望ましいのです。

だって、あらゆるところでわたしを支え、励まし、恵みを与えてくださるからです。

でも、主はそれを自ら要求なさいません。

改めて、主の支えに喜びをもって感謝できますように。

アーメン。


2017年10月16日の聖書の言葉

わたしたちは異なった賜物を持っています。奉仕の賜物であれば奉仕をするべきです。(ローマの人々への手紙12:6~7)

わたしたちは一人ひとり賜物をいただいています。

そして、個々に違う賜物です。

しかし、この「いただきもの、預かりもの」という意識が、いつの間にかどこかに忘れられていきます。

「異なっている」というのは、誰かに必要とされているということでもあります。

これが奉仕となるのでしょう。

今日も、望まれる人への奉仕ができますように。

アーメン。


2017年10月09日の聖書の言葉

わたしが不自由しているときに仕えてくれました(フィリピの人々への手紙2:25)

人は一人ではすべてのことができません。

生きることすらままなりません。

陰に陽に、多くの見えない方々に支えられています。

それでも、不自由することがたくさんあるのが現実です。

今日もそのことを感じる時があるかもしれません。

しかし、そっと支えてくれる人はいるのです。

迷わず前に進めますように。

アーメン。


2017年10月02日の聖書の言葉

援助の奉仕は、聖なる人たちへの必要を補う(コリントの人々への第2の手紙 9:12)

助け合いの心は神にも人にも喜ばれます。

共に同じものを保有できることは、人に安心感を与えます。

その上、親しさをも感じます。

その仲間の輪が広がっていくところに、「共同体」が自ずと誕生します。

今日も、そのための言動を蓄積できますように。

アーメン。