2024年06月のキリスト教の歴史

聖地イスラエルでいただいた恵み

第八回 「イエスとペトロ」

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 ペトロはガリラヤ湖の漁師でした。兄弟アンドレと共にイエスに召し出されて弟子となり、イエスに従って歩むことになりました。「あなたの足を洗わないと関わりなくなるよ」と言われたペトロは「主よ、足も手も頭も」(ヨハネ福音書13章8・9節)と慌てて応えるなど、気がよく憎めない性格ですが、直情的に行動して失敗したエピソードが聖書に記されています。

 「鶏鳴教会」
 ゲッセマネの園で捕えられたイエスは、大祭司カイアファ(ユダヤ教最高法院の長、在位AD18~36年)の屋敷(現在「鶏鳴教会」が建っています)に連行されました。最後の晩餐の席で「たとえ御一緒に死ななければならなくなっても、あなたのことを知らないなどとは決して申しません」(マルコ福音書14章31章)と宣言したペトロでしたが、この屋敷の庭で三度「そんな人は知らない」とイエスを否み、「鶏が鳴いた。ペトロは主の言葉を思い出して、外に出て激しく泣いた」とされる場所です。

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 ペトロの否認について
20240609-3.jpg 他の弟子たちは皆逃げ去っており、ペトロが黙っていれば誰にも知られずに済んだことでした。ところが、宣教の場所も相手も異なっていた四福音書全てに記されているのはなぜなのでしょうか? ペトロが福音(よき知らせ)を人々に説くときに、自らの弱さをさらけ出し、このような弱い私を赦し、受け入れてくださったキリストの愛を、大いに語ってきたからではないでしょうか。

 「ペトロの首位権教会」
 ガリラヤ湖畔タブハにある、黒い石で造られた重厚な教会です。祭壇にある石灰岩の岩は、復活されたイエスが弟子たちのために食事を準備し、御一緒に食された場所とされており、「Mensa Christi(キリストの食卓)」という札が置かれています。
 イエスの十字架上での死の後、ガリラヤに戻り漁をしていたペトロたちに、復活されたイエスが現れてくださいました。
 「陸に上がってみると、炭火が起こしてあった。その上に魚がのせてあり、パンもあった・・イエスは『さあ、来て、朝の食事をしなさい』と言われた」(ヨハネ福音書21章9~12節)
 食事が終わると、イエスは、ご自分の後継者としてペトロを選び、「わたしの羊の世話をしなさい」とお命じになりました。漁をしていたペトロとアンドレ兄弟をイエスが召し出されたのもこの場所だと伝えられています。

 ヨハネ福音書最終章21章には、復活されたイエスとペトロとの、心温まる会話が記されています。ほんの数日前に三度イエスを否認したペトロに対して、イエスは三度「私を愛しているか」と問いかけられました。師を裏切ってしまったペトロでしたが、「愛しています」と三度応答しました。続いてイエスは「わたしの羊を飼いなさい」と言われ、赦しと癒しと新たな使命をお与えになったのです。

 その後、ペトロを中心に、復活のイエスがキリスト(救い主)であるという宣教が始まり、エルサレムから全世界に向けて、福音が宣べ伝えられていきました。

 ペトロは初代ローマ教皇です。現教皇である第266代教皇フランシスコまでの代々の教皇は、ペトロの使命を受け継いで、世界中のカトリック教会のリーダーとして舵取りを行い、導いてくださっています。

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 「聖ペトロの魚」(セント・ピーターズ・フィッシュ)
20240609-6.jpg ガリラヤ湖でペトロが釣り上げた魚が銀貨を加えていたので神殿税として納めた(マタイ福音書17章24~27節)と記されています。オスは卵を口の中でふ化させますが、ふ化の後、稚魚が返ってこないように口に小石を含むことが知られており、その過程でコインを含んだのかもしれません。
 素揚げにレモンをかけて美味しくいただきました。

 「ヤッファ」
20240609-7.jpg ペトロが、ヤッファの街(現在のテルアビブ近郊ヤッフォ)の「皮なめし職人シモン」の家に滞在している時に、異邦人(ユダヤ人ではない人々)への伝道の啓示を受けました。
 「どんな国の人でも、神を畏れて正しいことを行う人は、神に受け入れられるのです」(使徒言行録10章35節)。そしてペトロが話し続けているとき、「御言葉を聞いている一同の上に聖霊が降りました」(同44節)
 この地をスタートとして、イエスの救いのメッセージが全世界に向けて伝えられていくことになりました。

心のともしび運動 阿南孝也