2024年01月のキリスト教の歴史

聖地イスラエルでいただいた恵み

第四回「水」

 南北に長いイスラエル国土の中央部を「シリア・アフリカ大地溝帯」が縦断しています。この大地の割れ目に沿って、ガリラヤ湖、ヨルダン川、死海が存在しているのです。

 雨の少ないユダヤ地方は、雨季の水を貯え、灌漑を施して、多くの農作物を収穫しています。キブツ(農業共同体)の存在が農業を支えています。

 この地域の数千年に及ぶ歴史を見守り、文化を育んできた「水の流れ」に注目したいと思います。

「ダン」
 ヨルダン川の源流にあたります。「ヨルダン」の名は「ダンから流れ下る」という意味です。イスラエル最北端に位置するヘルモン山(2814m)からの雪解け水は「ダン」を潤し、ヨルダン川となって「ガリラヤ湖」に注ぎます。
 テル・ダン(ダン遺跡)から「ダビデ」「イスラエルの王」の名が記された碑文が発見されました。聖書以外で「ダビデ」の名が記された初めての発見は注目を浴びました。

 「アブラハムの井戸」(ベエル・シェバ)
20240114-2.jpg  アブラハムの井戸と伝わる紀元前2千年頃の井戸が遺されています。アブラハムが「わたしの手からこの七匹(シェバ)の雌の羊を受け取って、わたしがこの井戸(ベエル)を掘ったことの証拠としてください(創世記21章30節)」と言って誓いを交わしたと聖書に記されています。降水量の少ない地域では、水の確保は必須でした。井戸を巡る争いが絶えなかったのです(創世記26章14~33節参照)。
 アブラハム、イサクがこの地に住み、ヤコブもこの地でいけにえを捧げたことが創世記に記されています。
 ユダ王国の南の要塞として栄えたベエル・シェバには、地下に城外への脱出口があり、外から引き入れられた水を貯える広大な貯水池を備えていることが発掘調査によって明らかになっています。

20240114-3.jpg 「イエスの受洗」
 ガリラヤ湖付近のヨルダン川は川幅も広く水も澄んでいますが、途中で泥灰岩層を通り抜けるために、イエスが洗者ヨハネから受洗されたと伝わるカッセル・ヨフートでは、川幅も狭く、黄色く汚れた流れとなっています。対岸はヨルダンです。

 「シロアムの池」
20240114-4.png 旧エルサレム城内の水源であった「ギボンの泉」から、水確保のために全長533mに及ぶ「ヒゼキアのトンネル」(紀元前7百年頃完成)が造られて、ダビデの町の南端にある「シロアムの池」につながっています。 シロアムはイエスが盲人の目を癒した池としてヨハネ福音書9章に登場します。

 「死海」
 世界で最も低地(海面下420m)にある湖です。周囲の川から流入があるだけで流出はゼロです。塩分濃度は30%に及び(海水は3%)、魚は生息していません。
 多くの命を育むガリラヤ湖と比べたとき、「恵みを受け取るだけで外に分かち合うことをしなければ、真の豊かさは得られない」という人生の教訓を見るようです。
 とは言え、死海の湖畔は保養地として賑わっています。塩だけでなく、ミネラル豊富な石鹸などの土産物が人気です。心配な点は、水の蒸発によって水位低下が続いていることです。