第三回「ベツレヘム」
エルサレムの南約10kmにあるベツレヘムは、1993年のオスロ合意(イスラエルとPLOの和解)によって、パレスチナ自治区となりました。原則としてユダヤ人は入ることができません。世界中から多くの巡礼者が訪れるため、観光産業が盛んな町です。
ダビデの出身地とされて「ダビデの町」と呼ばれています。ヨセフはダビデ家に属していたので、住民登録をするために、聖霊によって身ごもっていた妻マリアと一緒に「ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った」。(ルカ福音書2章4節)旅先のベツレヘムでイエスが誕生したと聖書は伝えています。
「御聖誕教会」
イエスが生まれたとされる洞窟跡に御聖誕教会があります。広場に面した入口は、人が屈んで入らなければならない小さなものです。祭壇はギリシア正教が管理しており、天井から多数の金属製のランプ(振り香炉)がぶら下がっているのが特徴です。地下の洞窟には、イエスの生誕場所が、学者たちを導いた14角(マタイ福音書冒頭の系図に記された14代と関連する数)の銀の星で示されています。
4世紀にキリスト教を公認したコンスタンティヌス皇帝がイエスの生誕地と伝わる洞窟跡に聖誕教会を建設。6世紀に焼失しましたが、東ローマ帝国によって再建され、11世紀に十字軍が周囲に堅固な城壁を築いて要塞化され、現在の形ができました。
パレスチナ初の世界遺産に認定されましたが、イスラエルとの紛争が絶えないため維持管理が難しく、危機遺産リストにも掲載されています。
隣接する聖カテリーナ聖堂で12月24日深夜にカトリックの荘厳なミサが行われます。またギリシャ正教は1月6日、アルメニア教会では1月18日をクリスマスとしています。
「羊飼いの野の教会」
ベツレヘム近くに、羊飼いの住居跡と考えられる洞穴がいくつも発掘されています。天使から救い主誕生を真っ先に告げられた羊飼いたちを記念した聖堂は、中央がドーム状の明るくてかわいい造りです。
思わず一同で、聖歌「あめのみつかいの(あらののはてに)」の大合唱となりました。
「ダビデの町」
『ルツ記』のあらすじ
ベツレヘム出身のナオミは、夫と2人の息子と共に死海東側のモアブという場所に移り住みました。息子たちはモアブの娘と結婚しましたが、夫と息子2人が亡くなり、ナオミはベツレヘムに帰ることになりました。2人の嫁の内、ルツはナオミと共にいることを望んだので、2人でベツレヘムへ移り住み、ルツはナオミの親戚のボアズの畑で麦の落ち穂拾いを始めました。やがてルツはボアズの妻になり、息子のオベドを産みます。このオべドの孫がダビデです。
マタイ福音書の冒頭に、アブラハムからダビデまで十四代、ダビデからバビロンへの移住まで十四代、バビロン移住からキリストまで十四代の系図が記されています。ユダヤ人が大切にする系図の中に、ルツという異邦人(ユダヤ人ではない)の女性が入っています。
「羊飼いの野の教会」一帯は「ボアズの野」とも呼ばれ、ルツが落穂拾いをしたと伝わる場所です。
「バンクシーの作品」
バンクシーは、街の壁などに、その時々の世相を表した政治や社会批判の絵を描く素性不明のアーティスト(路上芸術家)です。
イスラエルはパレスチナ自治区との境界に隔離壁を造りました。バンクシーは、ベツレヘムの街の中にも、いくつもの絵を描いています。「ターゲットにされた鳩」は、オリーブの枝をくわえた防弾チョッキを着た鳩が、ライフルのスコープの的にされている姿が描かれています。オリーブはパレスチナの代表産品であり、鳩もオリーブも平和の象徴です。
隔ての壁が取り除かれて、聖地に真の平和が訪れることを願ってやみません。
心のともしび運動 阿南孝也