第七回「マリアのエリザベト訪問」
大天使ガブリエルから受胎告知を受けたマリアは、ナザレから約150kmも離れたエリザベトの家に向かいます。天使から神のご計画を告げられ「お言葉どおり、この身に成りますように」と受諾したマリアは、年をとって身ごもっている親類のエリザベトに寄り添い、役に立ちたいとの思いから、急いでエリザベト訪問の旅に出ました。このマリアの行為は、まさに神と隣人に対する愛の業でした。
「あなたの親類のエリザベトも、年をとっているが、男の子をみごもっている。不妊の女と言われていたのに、もう六か月になっている。神にできないことは何一つない。マリアは出かけて、急いで山里に向かい、ユダの町に行った。」(ルカ福音書1章36、39節)
この時マリアが向かった山里はエルサレムの西約7kmにある「エン・カレム」(エン:泉、カレム:ブドウの園)であると伝えられています。谷を挟んで南側に「聖母訪問教会」、北側に「聖ヨハネ教会」が建っています。
「聖母訪問教会」
当時のマリアの年齢は10代半ばと考えられています。若い女性が一人で旅をするのは危険すぎるとの思いからでしょうか。「聖母訪問教会」壁面には、ロバに乗って天使に誘導されながら旅するマリアの姿が描かれています。
「エリザベトの祝福の言葉」
エリザベトがマリアに語った「あなたは女の中で祝福され、御胎内の御子も祝福されています」(ルカ福音書1章42節)の言葉は、世界中で日々唱えられている『アヴェ・マリアの祈り』の第2文です。
エリサベトは聖霊に満たされて、 声高らかに言った。「わたしの主のお母さまがわたしのところに来てくださるとは、どういうわけでしょう。あなたの挨拶のお声をわたしが耳にしたとき、胎内の子は喜んでおどりました。主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう。(ルカ福音書1章43~45節)
このエリザベトの「胎内の子」は、後に「荒れ野で叫ぶ者の声がする。『主の道を整え、その道をまっすぐにせよ。』」(マタイ福音書3章3節)と主イエス・キリストを指し示した旧約最後の預言者、洗礼者ヨハネです。
ルカ福音書1章46節からは、『マグニフィカト』と呼ばれる『マリアの賛歌』が続きます。
聖母訪問教会の庭には、マリアと、ちょっとお腹が膨らんだエリザベトの銅像が向き合って設置され、背後の壁面には、46か国語に訳された『マリアの賛歌』が刻まれています。
聖母マリアは、結果的にエリザベトのもとにイエスを運ぶことになりました。そのようにして人々にイエスを運ぶことの中に、キリスト者の愛の本質が隠れています。新約聖書における愛は、いつもイエスが軸になって語られます。
中川博道神父『存在の根を探して』(オリエンス宗教研究所)
「聖ヨハネ教会」
洗礼者聖ヨハネの生誕場所と伝えられている洞窟の上に聖堂が建てられています。聖ヨハネは人々に回心を勧め、ヨルダン川で悔い改めの洗礼を施した人物です。イエスもヨハネから洗礼を授かったと聖書は伝えています。
洗礼者聖ヨハネは、イエス・キリスト生誕の六か月前に、母エリザベトから生まれたと考えられるために、聖ヨハネ誕生を祝う祭日は6月24日と定められました。カトリック教会で誕生日が祝祭日となっているのは、イエスと聖母マリア、そして洗礼者ヨハネの3名だけです。
心のともしび運動 阿南孝也