昨年私は、カトリック学校の教員を主な対象とする「イスラエル聖地巡礼の旅」に参加してまいりました。 聖書に登場するエルサレムとガリラヤ湖周辺の街を巡りながら聖書世界を学び、 祈りながらの旅を通して神様とのかかわりを深め、子どもたちに神様をより良く伝えるための研修でした。
しかし現在、イスラエルは報じられているようにとんでもない事態となっています。
教皇フランシスコは10月9日、バチカンのサン・ピエトロ広場で訴えかけられました。
「・・・全ての戦争は敗北です。イスラエルとパレスチナの平和を祈りましょう」と。
この連載を中止しようかとも考えましたが、1日も早い停戦への祈りを込めて、
巡礼でいただいた聖地での学び、気づきにつきまして、毎月一回、ご報告をさせていただこうと思っています。
第十回「主の変容」
イエス・キリストのご変容の場所と伝えられる「タボル山」は、ガリラヤ湖の南端から西へ約20kmにある標高575mのお椀の形をしたなだらかな山です。
山頂に建つ「変容教会」には、エリヤとモーセが現れてイエスと語り合ったことにちなんで、三つの三角屋根があります。
聖堂内陣には、ご変容の場面を描いたモザイク画が、また両側の小聖堂には、「律法の代表者」モーセ、「預言の代表者」エリヤの姿が描かれています。
イエスは、ただペトロ、ヤコブ、ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。イエスの姿が彼らの目の前で変わり、服は真っ白に輝き、この世のどんなさらし職人の腕も及ばぬほど白くなった。エリヤがモーセと共に現れて、イエスと語り合っていた。ペトロが口をはさんでイエスに言った。「先生、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。仮小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのため、一つはモーセのため、もう一つはエリヤのためです。」ペトロはどう言えばよいのか、分からなかった。弟子たちは非常に恐れていたのである。すると、雲が現れて彼らを覆い、雲の中から声がした。「これはわたしの愛する子、これに聞け。」弟子たちは急いで辺りを見回したが、もはや誰も見えず、ただイエスだけが彼らと一緒におられた。(マルコ福9章2~8節)
カトリック教会では、毎年8月6日を「主の変容の祝日」と定めています。主の変容はイエスのご受難とご復活を先取りした出来事であり、受難の道を歩まれるイエスに従って歩むよう私たちを招いているのです。
「これはわたしの愛する子、これに聞け」の「聞く」とは「聞き従う」という意味の言葉です。父なる神は現代を生きる私たちに対しても「イエスに聞き従いなさい。イエスはわたしの愛する子だからです」と語りかけておられます。この呼びかけを心に留めたいと思います。
イエスは弟子たちを連れて山を下り、受難の道を歩まれました。そして十字架を通って復活の栄光にお入りになりました。人生には苦しみがつきものです。
「わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」(マルコ福音書8章34節)。この御言葉を心に留めて、いつも私たちと共にいて、共に歩んでくださる主イエスを見失うことなく、人生で出会う苦しみを神に委ねて歩んでいくことができますように。 アーメン。
結びに当たって「預言者エリヤに学ぶ」
ユダヤ教の預言者エリヤ(紀元前9世紀)は、カルメル山にて、他宗教であるバアルの預言者と対決することになりました(列王記上18章)。それぞれ祭壇を作り、薪を積み上げて、牛1頭をいけにえとして捧げるために、「どちらの神が火を降して応えてくださるか?」を競いました。
バアルの預言者は自らの思いを貫き、大声で神に火を降すよう要求し続けました。一方エリヤは、「あなたが神であることが明らかになりますように。わたしに答えてください」と、神の思いに従う祈りを捧げました。そして、主の火が降って、エリヤが勝利します。
「神に要求を突きつけ、自分の思いが叶うよう祈るのが偶像礼拝である」とのご指摘を雨宮慧神父様(東京教区)からいただきました。では、どう祈ればよいのでしょうか? 主イエス・キリスト、聖母マリアの祈りから、正しい祈りの姿勢を学びたいと思います。
*イエスのゲッセマネの園での祈り
「父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願いどおりではなく、御心のままに」(マタイ福音書26章39節)
*マリアのお告げの折の祈り
「どうして、そのようなことがありえましょうか。・・わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように」(ルカ福音書1章34、38節)
「○○できますように」などの「おねだりの祈り」をしてしまうとき、イエス様やマリア様の姿勢に倣って、「・・でも、私の思いではなく、あなたの思いが実現しますように」で締めくくることを忘れないよう心掛けたいと思います。
※「イスラエル巡礼記」は今回を持って完了とさせていただきます。ご覧くださりありがとうございました。
聖地に平和が訪れますように!
パレスチナとイスラエルが共存できる地域となることができますように。もっともっと世界が関心を寄せて、その枠組みを築いていくことができますように。
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の信者たち、指導者たちが心を開いて、祈りの内に、兄弟姉妹としての出会いを果たすことができますように。 アーメン。
心のともしび運動 阿南孝也