2026年10月31日の聖書の言葉

11月1日 諸聖人 マタイ5・1-12a

 そのとき、イエスは群衆を見て、山に登られた。腰を下ろされると、弟子たちが近くに寄って来た。そこで、イエスは口を開き、教えられた。

 「心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。
 悲しむ人々は、幸いである、その人たちは慰められる。
 柔和な人々は、幸いである、その人たちは地を受け継ぐ。
 義に飢え渇く人々は、幸いである、その人たちは満たされる。
 憐れみ深い人々は、幸いである、その人たちは憐れみを受ける。
 心の清い人々は、幸いである、その人たちは神を見る。
 平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。
 義のために迫害される人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。
 わたしのためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである。喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。」

祈りへの招き

祈りへの招き

 今日の福音書を山浦玄嗣(やまうらはるつぐ)さんのケソン語訳新約聖書で読むと、立場が弱く損ばかりしている人たちに、イエスが「そんなあなたたちこそ幸いですよ」と呼びかけている言葉で溢れています。新共同訳の朗読では、献身的に神の御旨を果たそうとする人をイエスが讃えているようにも聞こえてくるので、随分と印象が違います。私には心が清らかで正義感に則って果敢に行動できる人たちは、イエスからの賞賛の言葉がなくても同じように行動することができる人たちであるように思えます。イエスからあなたたちこそ幸せなのですよ、と呼びかけられて癒され力づけられる人たちは、自分たちを幸せからは縁遠い存在だと常日頃から感じている人たちでしょう。

 福音書の言葉は、自分はダメな人間で神様の御前にでるには相応しくない、と感じている人にこそ強く響くに違いありません。神の国の実現のためにイエスに付き従おうとして、さまざまな困難に傷つくときにも、心に響いてくるでしょう。お話をされているイエスのお姿は、迷える一匹の羊のために、九十九匹を置いて捜しまわる羊飼いの姿に重なります。

 今日の福音書の冒頭の「心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである」の言葉はすごく有名なのですが、この羊飼いであるイエスの姿を思い浮かべながら読み返してみると、私は最後の言葉「喜びなさい。大いに喜びなさい」に心を奪われます。この言葉の通りどんなときでも私たちの傍にいて慰め励ましてくださっているイエスの声に耳を傾けて、祈りましょう。

参考:(第一朗読:黙示録7・2-4、9-14)・(第二朗読:1ヨハネ3・1-3)