2026年11月07日の聖書の言葉

11月8日 年間第32主日 マタイ25・1-13

 そのとき、イエスは弟子たちにこのたとえを語られた。「天の国は次のようにたとえられる。十人のおとめがそれぞれともし火を持って、花婿を迎えに出て行く。そのうちの五人は愚かで、五人は賢かった。愚かなおとめたちは、ともし火は持っていたが、油の用意をしていなかった。賢いおとめたちは、それぞれのともし火と一緒に、壼に油を入れて持っていた。ところが、花婿の来るのが遅れたので、皆眠気がさして眠り込んでしまった。真夜中に『花婿だ。迎えに出なさい』と叫ぶ声がした。そこで、おとめたちは皆起きて、それぞれのともし火を整えた。愚かなおとめたちは、賢いおとめたちに言った。『油を分けてください。わたしたちのともし火は消えそうです。』賢いおとめたちは答えた。『分けてあげるほどはありません。それより、店に行って、自分の分を買って来なさい。』愚かなおとめたちが買いに行っている間に、花婿が到着して、用意のできている五人は、花婿と一緒に婚宴の席に入り、戸が閉められた。その後で、ほかのおとめたちも来て、『御主人様、御主人様、開けてください』と言った。しかし主人は、『はっきり言っておく。わたしはお前たちを知らない』と答えた。だから、目を覚ましていなさい。あなたがたは、その日、その時を知らないのだから。」

祈りへの招き

祈りへの招き

 ともし火のための油を余分に買っておかなかったことで、愚かなおとめと呼ばれ、宴会の主人である御父から「わたしはお前たちを知らない」とまで言われてしまう5人のおとめたちがなんだか可哀そうになってきます。当時の婚礼の風習からいっても、余分の油がなくてともし火が消えてしまったくらいで宴席から追い出されるようなことは無かったと考えた方が良さそうです。多分、お話を聞いた弟子たちも、「えっ、そんなに厳しくするの!」とびっくりしたことでしょう。

 今日の福音はマタイ25章の冒頭部分ですが、前章の24章ではいよいよイエスに時が迫ってきていることを暗にお示しになる話が次々と出てきます。そして、26章はユダの裏切りでイエスが逮捕される箇所となります。今日のたとえ話の厳しさは、イエスが弟子たちに間もなく弟子たちに訪れる厳しい試練を伝えようとされていることの証なのでしょう。

 ところで、賢いおとめたちが壺に入れてもっていた油はなにをたとえているのかについては、さまざまな解釈があります。わたしは、この箇所を読んでいて、イエスがペトロを「サタン、引き下がれ」(マタイ16・23)と叱咤された場面を真っ先に思い浮かべました。ペトロへの厳しさが愚かな乙女たちに向けられた厳しさと同じように感じられたからです。きっと、愚かなおとめたちは、イエスが御父の御旨を果たされる存在であることを受け入れる準備が出来ていなかったのでしょう。

 イエスの厳しさは私たちが父の御旨を受け入れられるように導く厳しさです。御父の御旨に素直に従えない私たちに厳しい言葉をかけて下さるイエスに感謝して、祈りましょう。

参考:(第一朗読:知恵6・12-16)・(第二朗読:1テサロニケ4・13-18)