2026年10月03日の聖書の言葉

10月4日 年間第27主日 マタイ21・33-43

 そのとき、イエスは祭司長や民の長老たちに言われた。「もう一つのたとえを聞きなさい。ある家の主人がぶどう園を作り、垣を巡らし、その中に搾り場を掘り、見張りのやぐらを立て、これを農夫たちに貸して旅に出た。さて、収穫の時が近づいたとき、収穫を受け取るために、僕たちを農夫たちのところへ送った。だが、農夫たちはこの僕たちを捕まえ、一人を袋だたきにし、一人を殺し、一人を石で打ち殺した。また、他の僕たちを前よりも多く送ったが、農夫たちは同じ目に遭わせた。そこで最後に、『わたしの息子なら敬ってくれるだろう』と言って、主人は自分の息子を送った。農夫たちは、その息子を見て話し合った。『これは跡取りだ。さあ、殺して、彼の相続財産を我々のものにしよう。』そして、息子を捕まえ、ぶどう園の外にほうり出して殺してしまった。
 さて、ぶどう園の主人が帰って来たら、この農夫たちをどうするだろうか。」彼らは言った。「その悪人どもをひどい目に遭わせて殺し、ぶどう園は、季節ごとに収穫を納めるほかの農夫たちに貸すにちがいない。」イエスは言われた。「聖書にこう書いてあるのを、まだ読んだことがないのか。
 『家を建てる者の捨てた石、
 これが隅の親石となった。
 これは、主がなさったことで、
 わたしたちの目には不思議に見える。』
 だから、言っておくが、神の国はあなたたちから取り上げられ、それにふさわしい実を結ぶ民族に与えられる。」

祈りへの招き

祈りへの招き

 たとえ話の最中、イエスはファリサイ派の人たちに「さて、ぶどう園の主人が帰って来たら、この農夫たちをどうするだろうか」と問いかけられます。マルコ福音書(12・1-12)とルカ福音書(20・9-19)にも同じ話が記されていますが、イエスがたとえ話の中でファリサイ派の人々に問いかける様子はマタイ福音書だけが記しています。ヨハネの権威が天からのものか、人からのものか、と問われて答えをはぐらかしたファリサイ派の人達(マタイ21・23-27)ですが、さすがにぶどう園の農夫の話となると、農夫たちは罰せられて当然だと答えるしかありません。

 その答えを聞いたイエスは、御父である神から遣わされた預言者を死に追いやり、今また御父の子であるご自分を処刑しようと企むあなたたちは農夫たちと同じだ、と返されます。イエスは、ファリサイ派の人々に面と向かって神の国はあなたたちに相応しくないと告げたのです。それだけでなく、あなたたちは「隅の親石」、つまり復活したイエスご自身によって打ち滅ぼされる(マタイ21・44)、とまで言われます。

 もちろん、石によって打ち砕かれたり、押しつぶされたりするのは、ファリサイ派の人や祭司長たちの権威なのでしょうけれども、とても厳しい警告です。イエスは御父からの呼びかけに耳を傾けようとしない人たちに、強い怒りを感じておられます。私たちが回心できないとき、同じようにイエスは私たちのために怒ってくださっているに違いありません。私たちのために怒ってくださるイエスに感謝して、祈りましょう。

参考:(第一朗読:イザヤ5・1-7)・(第二朗読:フィリピ4・6-9)