神よ、あなたはわたしたちの生きる源です。
そして、日々、わたしたちが歩むべき道のりをも示してくださっています。
それに気づいても、やっかい扱いしてしまうことが多々あります。
その繰り返しをわたしたちがしたとしても、あなたは、わたしたちを「見捨てる」ことはないのです。
このことを悟らせてください。今日、もっと深く気付かせてください。
アーメン。
神よ、わたしたちはたくさんのお恵みをいただいております。
中でも、「自由」という恵みは、前に進む大きな力となっています。
しかし、時々、「わがまま」とはき違えることがあります。
掟は、「はき違え」を気づかせるためにあるのかなと思うことです。
そうです。わたしたちが「人として」より良く生き抜くためにあるのです。
どうぞ、あなたのみ心に気づかせてください。
もっと楽しく生きることができますように。
アーメン。
明日は「敬老の日」です。
主よ、人生の先輩方を拝見しますと、そろって目を引くのが、温厚さ、節制、思慮深さなどです。
若い人たちから見ますと、テンポが遅い、融通が利かない等、不満が募ることがあるのかもしれませんが、元気でいても、時が経てば誰もがたどる道のりです。
老若男女、その生きている姿そのものが健全な語りです。
わざわざ声を出して語らなくても多くの人に、特に家族に見られています。
敬老の日を迎えられる多くの方々に感謝し、これからの道のりに幸多からんことを祈ります。
アーメン。
イエスよ、あなたはその生涯を通して、いつも弟子たち、民衆の中で語り、働かれました。
そして、今もなお働き続けることを願い、そうなさっています。
かつて、弟子たちとともに働かれ、弟子たちの語ること、その業を確かなものとされたように、今のわたしたちに対しても同じことをなさいます。
「わたし」の傍らで働いてくださっています。
どうぞ、わたしたちの一挙手一投足を導き、祝福し、お恵みください。
アーメン。
神よ、わたしたちの周りにはたくさんのやるべき仕事があります。
それらは、自分にとっても、他人にとっても大いに役に立つものがほとんどです。
つまり、無駄に見えてもそうでないことが多いということです。
要は、他者が生かされ、喜び、楽しくなることが大事であると思います。
同時に、自分もそれによって嬉しく、楽しくなることでしょう。
そのためにこそ、休みが必要です。
また、余暇を楽しむことも大事でしょう。
主よ、どうか動と静を上手に生かし合うことができますように、お導きください。
アーメン。