2019年09月29日の聖書の言葉

わたしはあなたの掟を守ります。決してわたしを見捨てないでください(詩編 119:8)

神よ、あなたはわたしたちの生きる源です。

そして、日々、わたしたちが歩むべき道のりをも示してくださっています。

それに気づいても、やっかい扱いしてしまうことが多々あります。

その繰り返しをわたしたちがしたとしても、あなたは、わたしたちを「見捨てる」ことはないのです。

このことを悟らせてください。今日、もっと深く気付かせてください。

アーメン。


2019年09月22日の聖書の言葉

わたしの定めを拒絶し、掟に従おうとはしなかった(エゼキエル書 5:6)

神よ、わたしたちはたくさんのお恵みをいただいております。

中でも、「自由」という恵みは、前に進む大きな力となっています。

しかし、時々、「わがまま」とはき違えることがあります。

掟は、「はき違え」を気づかせるためにあるのかなと思うことです。

そうです。わたしたちが「人として」より良く生き抜くためにあるのです。

どうぞ、あなたのみ心に気づかせてください。

もっと楽しく生きることができますように。

アーメン。


2019年09月15日の聖書の言葉

あなたは、健全な教えにかなうことを語りなさい(テトスへの手紙 2:1)

明日は「敬老の日」です。

主よ、人生の先輩方を拝見しますと、そろって目を引くのが、温厚さ、節制、思慮深さなどです。

若い人たちから見ますと、テンポが遅い、融通が利かない等、不満が募ることがあるのかもしれませんが、元気でいても、時が経てば誰もがたどる道のりです。

老若男女、その生きている姿そのものが健全な語りです。

わざわざ声を出して語らなくても多くの人に、特に家族に見られています。

敬老の日を迎えられる多くの方々に感謝し、これからの道のりに幸多からんことを祈ります。

アーメン。


2019年09月08日の聖書の言葉

主は、弟子たちとともに働かれた(マルコ 16:20)

イエスよ、あなたはその生涯を通して、いつも弟子たち、民衆の中で語り、働かれました。

そして、今もなお働き続けることを願い、そうなさっています。

かつて、弟子たちとともに働かれ、弟子たちの語ること、その業を確かなものとされたように、今のわたしたちに対しても同じことをなさいます。

「わたし」の傍らで働いてくださっています。

どうぞ、わたしたちの一挙手一投足を導き、祝福し、お恵みください。

アーメン。


2019年09月01日の聖書の言葉

彼女たちは安息日にあたっていたので掟にしたがって休んだ(ルカ 23:56)

神よ、わたしたちの周りにはたくさんのやるべき仕事があります。

それらは、自分にとっても、他人にとっても大いに役に立つものがほとんどです。

つまり、無駄に見えてもそうでないことが多いということです。

要は、他者が生かされ、喜び、楽しくなることが大事であると思います。

同時に、自分もそれによって嬉しく、楽しくなることでしょう。

そのためにこそ、休みが必要です。

また、余暇を楽しむことも大事でしょう。

主よ、どうか動と静を上手に生かし合うことができますように、お導きください。

アーメン。