何か悪いことをしでかしたら、「親の顔が見たい」と言われることがあります。
その子どもの振る舞いに、親の何かを感じさせるのでしょうか。
一人ひとりは親の、家族の何かを背負っています。
それを負担に感じることなく、「わたしの親です、家族です」と堂々と宣言できるような関係になっていきたいですね。
主よ、どうかわたしたち一人ひとりに、良いかかわりの構築ができますように。
アーメン。
親は子が気づいていないところで、いつも支えてくれています。
子にとって、時にはうるさく感じることがないわけではありませんが、それは親の子に対する愛情なのです。
それを分かっていても、反動的になることがあります。
主よ、どうか親の働きかけに素直にならせてください。
アーメン。
主よ、今日は「父の日」です。
すでに天に召された「お父さん」、現役で活躍中の「お父さん」。
また、記憶の中にある「お父さん」との数々の思い出。
ある時にはケンカをしたり、楽しく語らったり、怖い顔、やさしい顔、悩んでいる姿、喜んでいる姿。
たくさんの表情が出てきます。
イエスさまにとって、「父」は生きる大きな力となっていました。
今のわたしたちはどうでしょうか。
共にいることが前に進む力になっているでしょうか。
「お父さん」に感謝です。
そして、これからもどこかで支えてください。
アーメン。
主よ、わたしたちは毎日祈っています、と言いたいのですが、得てしてそうでないことが多いのではないでしょうか。
つまり、祈っても、願ってもその通りにならないと、祈ることが嫌になったり、祈ることを忘却の彼方に追いやってしまうことがあるからです。
神よ、あなたが、わたしたちの必要なことをご存知であれば、そのことに集中してあなたに向かわせてください。
そして、祈り続けることの大切さを分からせてください。
アーメン。
かつて、自己啓発の本とか修行企画が話題になった時期がありました。
今でもなくなったわけではないでしょうが、いつも感じていることがあります。
それは、自己の弱点、汚点ばかりに注目が集まり、そこを乗り越えることに終始しているのではないかということです。
大事なことは、良いところをいかに伸ばしていくか・・ではないかと。
主よ、自分の良さを素直に気づかせ、確認させてください。
自分の心をしっかりと知り、豊かにしていけますように。
アーメン。