
そのとき、イエスは弟子たちに言われた。「あなたがたは、わたしを愛しているならば、わたしの掟を守る。わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。この方は、真理の霊である。世は、この霊を見ようとも知ろうともしないので、受け入れることができない。しかし、あなたがたはこの霊を知っている。この霊があなたがたと共におり、これからも、あなたがたの内にいるからである。わたしは、あなたがたをみなしごにはしておかない。あなたがたのところに戻って来る。しばらくすると、世はもうわたしを見なくなるが、あなたがたはわたしを見る。わたしが生きているので、あなたがたも生きることになる。かの日には、わたしが父の内におり、あなたがたがわたしの内におり、わたしもあなたがたの内にいることが、あなたがたに分かる。わたしの掟を受け入れ、それを守る人は、わたしを愛する者である。わたしを愛する人は、わたしの父に愛される。わたしもその人を愛して、その人にわたし自身を現す。」

今日の福音には、とても印象的な言葉があります。それは「あなたがたは、わたしを愛しているならば、わたしの掟を守る」です。イエスが言われた、わたしの掟とは、「あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい」(ヨハネ13・34a)でしょう。
イエスは、ご自分がまもなく御父から遣わされた役割を終えようとしていることをご存知です。そして、十字架の上でお亡くなりになるイエスをみて、弟子たちが大いに動揺することをよく承知しておられます。今日の福音で、イエスが弟子たちに新たな覚悟を促されています。それは、人としてのイエスが見えなくなった後には、弟子たちはイエスを通さずに直接御父と共に生きることになるからです。
このイエスの言葉は、そのままわたしたちにも向けられます。わたしたちは、弟子たちとは違って復活されたイエスの姿を見ることもできません。イエスと会うことができなかったわたしたちがイエスの掟を受け入れることができているとしたら、イエスがわたしたちのなかにいて下さるのが分かるとしたら、それは御父がわたしたちとともに生きてくださっている証なのだ、と思います。
わたしたちのなかにいると断言してくださるイエスに感謝して、祈りましょう。
参考:(第一朗読:使徒言行録8・5-8、14-17)・(第二朗読:1ペトロ3・15-18)