2026年01月17日の聖書の言葉

1月18日 年間第2主日 ヨハネ1・29-34

 そのとき、ヨハネは、自分の方へイエスが来られるのを見て言った。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ。『わたしの後から一人の人が来られる。その方はわたしにまさる。わたしよりも先におられたからである』とわたしが言ったのは、この方のことである。わたしはこの方を知らなかった。しかし、この方がイスラエルに現れるために、わたしは、水で洗礼を授けに来た。」そしてヨハネは証しした。「わたしは、〝霊〟が鳩のように天から降って、この方の上にとどまるのを見た。わたしはこの方を知らなかった。しかし、水で洗礼を授けるためにわたしをお遣わしになった方が、『〝霊〟が降って、ある人にとどまるのを見たら、その人が、聖霊によって洗礼を授ける人である』とわたしに言われた。わたしはそれを見た。だから、この方こそ神の子であると証ししたのである。」

祈りへの招き

祈りへの招き

 ミサの中で、私たちがご聖体(イエス・キリストの御からだと御血)を拝領する前に歌う「平和の賛歌」の歌詞は、今日の福音書の中でヨハネがイエスを指して言った言葉、「見よ、世の罪を取り除く神の子羊だ」に由来しています。今の聖体拝領はパンとして小さなホスチア(※)を拝領しますが、初代教会のミサでは普通のパンを参加者が人数分に裂いていたので、聖体拝領はずいぶんと時間がかかったそうです。そこで、教皇セルギウス一世は聖体拝領の間には「平和の賛歌」を歌うように定めました。

 神の子羊、と聞いても私たちにはピンとこないかもしれせん。過越祭で子羊を屠る習わしがあるユダヤの人たちなら、子羊と聞けば人のために捧げられる犠牲の子羊を真っ先に思い起こすでしょう。もちろん、ヨハネがイエスを「世の罪を取り除く神の子羊」と呼んだときには、まさかイエスが私たちの罪をすべて贖ってくださる方だとは思わなかったでしょう。

 聖体拝領前にわたしたちが「わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします」と祈ったのち、司祭は「教会に平和を願う祈り」を唱えます。その中には、確かに「わたしの平和をあなたがたに与える」というイエスの言葉があります。「平和の賛歌」を歌って、わたしたちが神の子羊とイエスに呼びかけるのは、私たちの平和がイエスの贖いを通して神から与えられたことを心に呼び起こすためでしょう。

 イエスの贖いによって神の平和が私たちに与えられたことを深く感謝して、祈りましょう。

 ※ホスチア:聖別用に用いられる円形の薄いパン、「聖体」となるパンのこと。

参考:(第一朗読:イザヤ49・3、5-6)・(第二朗読:1コリント1・1-3)