2026年01月10日の聖書の言葉

1月11日 主の洗礼 マタイ3・13-17

 そのとき、イエスが、ガリラヤからヨルダン川のヨハネのところへ来られた。彼から洗礼を受けるためである。ところが、ヨハネは、それを思いとどまらせようとして言った。「わたしこそ、あなたから洗礼を受けるべきなのに、あなたが、わたしのところへ来られたのですか。」しかし、イエスはお答えになった。「今は、止めないでほしい。正しいことをすべて行うのは、我々にふさわしいことです。」そこで、ヨハネはイエスの言われるとおりにした。イエスは洗礼を受けると、すぐ水の中から上がられた。そのとき、天がイエスに向かって開いた。イエスは、神の霊が鳩のように御自分の上に降って来るのを御覧になった。そのとき、「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」と言う声が、天から聞こえた。

祈りへの招き

祈りへの招き

 ヨハネが授けていた洗礼は「悔い改めの洗礼」と呼ばれており、救い主から罪を赦してもらうための清め、あるいは償いのための儀式だったそうです。ですから、罪を赦してもらうためには自分の償いが不十分だと感じると、何度も悔い改めの洗礼を受けに来る人がいたそうです。

 ヨハネは、罪を赦すことができる御方が「悔い改めの洗礼」など受ける必要もない、と言って断ろうとしますが、イエスは「今はそうしてくれ。それが神様の御旨にかなうことだから」と答えておられます。福音書の中に出てくる「正しいこと」という言葉には、「神の御心に則っていること」という意味があるそうです。

 ヨハネは「悔い改めよ、神の近づいた」と説きながら、自分が授けた洗礼によって清められた人々がイエス、すなわち救い主によって裁かれるのを待っていました。救い主の裁きの時には、罪が赦される人だけでなく罪が赦されない人も出てくるはずです。ところが、イエスは裁きを行わず、ユダヤの人たちと同じように悔い改めの洗礼を受けることを望まれたのです。

 人となられたイエスは、裁くことなく、私たちと同じように悔い改め、苦しみ、死をも受け入れられました。それは、イエスに注がれた御父の愛をイエスが人として私たちに注ぐために必要なことだったのでしょう。

 私たちが、イエスを通して受け取ることができる神の愛に感謝して、祈りましょう。

参考:(第一朗読:イザヤ42・1-4、6-7)・(第二朗読:使徒言行録10・34-38)


2026年01月03日の聖書の言葉

1月4日 主の公現 マタイ2・1-12

 イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた。エルサレムの人々も皆、同様であった。王は民の祭司長たちや律法学者たちを皆集めて、メシアはどこに生まれることになっているのかと問いただした。彼らは言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者がこう書いています。

 『ユダの地、ベツレヘムよ、
 お前はユダの指導者たちの中で
 決していちばん小さいものではない。
 お前から指導者が現れ、
 わたしの民イスラエルの牧者となるからである。』」

 そこで、ヘロデは占星術の学者たちをひそかに呼び寄せ、星の現れた時期を確かめた。そして、「行って、その子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ。わたしも行って拝もう」と言ってベツレヘムヘ送り出した。彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。学者たちはその星を見て喜びにあふれた。家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。ところが、「ヘロデのところへ帰るな」と夢でお告げがあったので、別の道を通って自分たちの国へ帰って行った。

祈りへの招き

祈りへの招き

 今日の福音書朗読で一番印象に残ったのは「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方で星を見たので、拝みに来たのです」という箇所でした。

 ヘロデ王はユダヤがローマの属国であったときに、ユダヤの統治をローマから委託された王でした。ヘロデ王の在位が紀元前37年から紀元前4年という歴史の事実は、私たちがイエスがお生まれになった時期を知る手がかりになっています。ユダヤの民からは、ヘロデ王はローマに取り入って王だと思われていたはずで、ヘロデ王自身も同胞を信頼できなかったでしょう。実際、とても猜疑心が強い王だったとされています。

 さて、冒頭に挙げた一節は、占星術の学者たちが遠方から旅をしてきてヘロデ王に告げた言葉です。謁見したヘロデ王に向かって「自分たちとは無縁の国に生まれた赤子を拝むために遠方よりはるばる旅をしてきました。その方がユダヤの王だからです」と告げたのです。生後間もなく死んでしまう赤ん坊が多い当時にあって、王の子として生まれても王になるとは限りません。王として生まれてきた赤子に拝謁するため遠路を出掛けるなど前代未聞の話です。しかも、それを現時点でユダヤの王であるヘロデに向かって言うなんてあり得ない話です。

 あっ、そうか! この三人の占星術の学者たちの言葉は「とてつもなく大切な方が、この世に来てくださった」と告げている言葉なのです。

 私たちは、その大切な方に会うために遠方へ旅する必要などありません。大切な方はいつも私たちの近くにいて神への道を示してくださっています。イエスとの近しさに感謝して、祈りましょう。

参考:(第一朗読:イザヤ60・1-6)・(第二朗読:エフェソ3・2、3b、5-6)