ポンテオ・ピラトのもとで苦しみを受け

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 主日と祭日のミサで唱えられる「使徒信条」は長い伝統を持つ信仰宣言です。世界中のカトリック教会はもちろん、聖公会やプロテスタントの教会でも広く唱えられている大切な祈りです。ミサの「ことばの典礼」で朗読された聖書のみことばに応える形で、神様に対して、また自分自身やミサに与るすべての人に対して、信仰を宣言するものです。

 その大切な「使徒信条」の祈りの中に、「イエス・キリスト」「マリア」と並んで「ポンテオ・ピラト」の名前が登場します。世界中の教会で、毎日曜日に、何億人もの人がその名を唱える「ピラト」に注目したいと思います。

 ピラトが紀元26年から10年間ユダヤ総督の地位にあったことがローマ帝国の歴史に記されています。ピラトの名前があることは、イエス・キリストの十字架の贖いが歴史的事実であることを証しするものなのです。

 「枝の主日」と「聖金曜日」の礼拝では、「主の受難」の福音書を、キリスト役・ナレーター役・ピラト役・一般民衆役に分担して参加者全員で唱えます。枝の主日で「いと高きところにホサナ」とキリストを歓迎する言葉を発した民衆が、聖金曜日には、「殺せ。殺せ。十字架につけろ」と変心する役を、ミサに与る私たちが果たすのです。

 ユダヤ民衆の反発を恐れたピラトは、「十字架につけるために、イエスを彼らに引き渡した」(ヨハネ19章16節)と聖書に記されています。ピラトはローマ人です。「ポンテオ・ピラトのもとで苦しみを受け・・」と唱えることは、イエスを十字架につけたのはユダヤ人だけではなく、保身を優先したピラトに代表される弱く罪深い人、そう、自己中心的な私が、そしてすべての人がイエスに苦しみを与えて、十字架にくぎ付けにしたことを、ミサに与るたびに思い起こさせてくれるのです。

 「神が私たちを愛して、私たちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります」 (ヨハネの手紙Ⅰ・4章10節)

 私たちが、この神の愛に応えて生きていくことができますように。 アーメン。

心のともしび運動 阿南孝也