主の平和

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 今年のゴールデンウィーク、ようやくコロナ禍の規制が緩和され、2年ぶりに長崎へ行ってきました。その目的は、黙想会のお手伝い。

 幸か不幸か後期高齢者の団塊世代は、まだまだ元気ハツラツ、長崎まで車で出向いたのです。しかし、さすがに老体に鞭打つことができず、神戸~大分間は船のお世話になりました。
 乗船したフェリーの船内は、以前と違って大勢の旅客で賑わっていました。
 翌朝、大分港に無事到着。嬉しさからか、思わず誰とはなしに「おはようございます」と挨拶した。下船後、車のナビに案内され高速道路を快走しました。

 目的地までの車中から眺める景色は、"これぞ九州"と言わんばかりに雄大で、目の中に飛び込んでくる美しい自然にワクワクしている老体を感じました。約4時間半のドライブを楽しんだ後、ようやく目的地に到着。すると直ぐに、待っていましたとばかり「お久しぶり。お元気でしたか」と何故か互いに大声をあげたのです。まるで一人で頑張って生きてきたかのような喜びの声が互いの体の中から発露したようでした。

 今、その事を想起するとイエス様が弟子たちに向かって「あなた方に平和」と言われたその言葉の意味が、ただの挨拶でなかったことに気づかされたのです。

 つまり、イエス様の挨拶には、無病息災、家内安全だけでなく、神様の救いに恵まれますようにという、"神の救いに満たされる"ことを含蓄された平和の言葉の挨拶であったのです。

 イエス様の弟子たちに向けた挨拶、また出会った人々への挨拶、それら全て "救いの喜びを贈る言葉"であることを、今回の旅で体得できたようでした。

 あなたもイエス様のように出会う人へ"平和"の挨拶を運びませんか。

心のともしび運動 松村信也