祈り

毎月のお便りイメージ

 連日ウクライナとロシアの戦争の状況が報じられます。このニュースが一段落すると知床半島沖での沈没事故、さらに行方不明になった山梨での少女の遺骨発見と悲惨なニュースばかりを聞かされます。

 あの山梨で起こった時「一日も早く見つかって欲しい」と祈りました。またロシアがウクライナに侵攻した時から「一日も早く終結するように」と祈り続けています。知床の沈没事故の時も「一刻も早く全員を救助して欲しい」と祈り、ようやく沈没船の引き揚げができたものの、未だ行方不明の方々もおられ、原因解明や補償問題も遅々として進まない状況です。

 この現実を知らされ、正直、"祈り"の虚無感に苛まれました。
 "祈り"って何なのだ!イエスの言葉は、本当だったのか。信じていたのに・・・。そんな懐疑が起因してか、最近ニュースを聞くと憂鬱になるため、耳を塞ぐようにしていました。そんな愚か者の私に一つの言葉が届けられました。

 「祈ったからといって、必ずしも争いが終わるわけではない。けれども、祈ることをやめたらもっと恐ろしい事態になる」と。確かに、祈ったからといって、必ずしも争いや問題が終結するわけはないでしょう。しかし、祈らなければ、もっと悪くなるようで、祈らずにはいられなかったのです。結果的に塞ぎ込むことになったのですが、原因はあまりにも個人的願望の強い祈りであったからだと気づかされたのです。

 祈りとは本来個人の願望達成ではなく、全てを神に委ねて神から受け取るものだからです。ところが愚か者は願望が強すぎたため、エゴが心を支配し、結果的に思い通りの願望達成の祈りに走ってしまっていたからでした。

 "祈り"とは、全てを神に委ねること。それによって神は、私たちに一番善いものを"与える"ことができるのです。
   一日も早く争いが終結しますように

心のともしび運動YBU本部 松村信也