先月、全世界のキリスト教会では"主のご復活"を祝いました。キリスト教の中で復活といえば、イエス様の復活"イースターEaster"です。しかし、一般に使っている復活の言葉は、①リバイバルRevival(復興、最高、蘇生、再燃、再現)であり②制度や秩序などのRestoration(復元、復旧、返還、維新、復古)③生命、希望などのResurrection(再生、再起、再流行)と言う具合に将来の目的、目標、期待によって同じ「復活」であっても目指しているものによって微妙に異なっています。
かつて注意されたことですが、阪神淡路大震災の後、さあ「復活」に向けてと口走ったとき、すぐに指摘され「復活ではなく、新たな復興に向けて」と是正しました。確かに、東日本大震災後でも同様に「復活ではなく、復興あるいは新興だ」と言われました。その意味は「災害などによって衰えた被災者及び被災地が再生する」ことです。復興は、必ずしも「災害前より良くなることではなく」、この言葉の字義に忠実に「一度衰えたものが、再び盛んになること」です。それは古いものにこだわらないで、再興の過程で別の新たなものが加わり、「新しく生じる新興でもある」のです。
このように「復活」の概念を捉えていくとき、先月お祝いした"イエス様のご復活"で喜び祝うことも大切ですが、イエス様の復活で私たちの復活を考えることも必要かと思いました。「復活」を幅広い概念で捉え、自分は果たして復興、新興したのだろうか。ただ頭の中だけで思い描いただけではなかったのか。
復活信仰であるキリスト教は、現在の状況に応じた個々の努力と行動を求められていませんか。ウクライナの人々の声は、あなたの心に届いていますか。
心のともしび運動YBU本部 松村信也