できることから

毎月のお便りイメージ

 コロナ禍で人と交わり、知り合う機会のない生活が始まって2年も過ぎた。
 その中で必ず週に一度昼食にいく店がある。この店は着任して間もない頃にオープンした。店を覗くと中年の女性と店長らしき男性の二人が、カウンターの中で働いていた。開店して間もないからか、二人ともとても愛想がよかった。

 初日からカウンター越しに世間話が始まった。気さくな店主と女性の方との語らいは、なぜか"ほっと一息"させられた。話していくうちに店主が同世代だと解った。お互いに同世代だと解ると急に親しみを感じて、竹馬の友のように話した。
 ある日、昼食に行ったら店主の姿はなかった。少々がっかりしたが、いつものようにカウンターに腰掛け、配膳を待った。しかし、とても長く何故か疎外感を覚えた。原因は店主の不在だったが、それだけなのかと考えた。

 最近報道される悲惨な事件の動機が、加害者の自暴自棄「誰でもよかった・・・」と言う身勝手で無差別な犯行である。動機の先に観えるのは、現代社会のもたらす病の被害者像であり、その被害者が引き起こした犯行ではないだろうか。
 グローバル化のもたらす格差社会、更にコロナ禍での困窮。その結果、社会から阻害、差別、孤独、絶望に追いやられてしまった。
 こんな現実社会の中でみんな精一杯頑張っている。みんな"何か足りないことを知りながら"頑張っている。こんな社会だからこそ、互いに受け入れ、話し合える共同体があったら、束の間のひと時であっても少しは心の潤い、希望の光を見出す機会が見つかるかもしれない。

 愛、慈悲、思いやり、小欲知足などなど解ったようなことを書いたり、話したりしている自分。出来無いことに挑戦するのではなく、できることから始めようと決めた。
 コロナ禍のもたらす閉塞感から1日も早く脱出できるのを願いつつ。

 今、お苦しみの中にある方々の上に 神様の慰めと励ましが豊かに注がれますように祈りを込めて。

心のともしび運動 松村信也