信頼の糸

毎月のお便りイメージ

 毎朝、最寄りのバス停までの道すがら、数奇屋風のお家の庭をそっと覗くと、可愛い二匹のワンちゃんが、部屋の中から首を傾げて不審そうに見つめます。ある朝、散歩に出かけるワンちゃんとバッタリ玄関で出会いました。そして私を見るや否や、嬉しそうに大きな尻尾を振りながら近づき、私の足の間にスッポリ顔を埋めました。思わずワンちゃんの顔を両手で挟んで「おはよう、いつもお利口さんだね、これからお散歩かい」と話しかけると、しばらく身動きしませんでした。ご主人が「さあ、おじさんお出かけだから、散歩に行くよ」と声掛けると、解ったようで私の手からするりとくぐり抜け、「またね」と告げるように私を一見、尻尾をふり振りご主人と一緒に出かけていきました。何気無いほんの束の間のひと時でしたが、朝から心を癒された触れ合いでした。

 

 でもどうしてワンちゃんは通行人の私の顔を、ましてやマスクをしていた私を家の中から見ていただけで、覚えていたのだろう。何か不思議な思いを感じながらバス停に急ぎました。バスの中でふっ!とイエス様の癒しの場面を想い浮かべました。

 イエス様は人々を癒される時、呪文を唱えるとか、奇声をあげることはなかった。むしろ「癒し」の場面では、自然体であったように思います。癒す相手を優しく見つめて、話しかけ触れられる。するとイエス様と相手の人との間にあったバリアがスゥーッと消え去って、代わりに互いの"信頼感"が交流する。「癒し」とは、そうした目に見えない心と心の繋がりを信頼の糸で結んでいく。それが癒される時ではないでしょうか。

 与える側も与えられる側も"ありのまま"を相手に表情することで、言葉がなくても互いの想いは信頼の交流で通じ合うからでしょう。長いコロナ禍にあって、皆が"ありのまま"を受け入れあい、信頼の糸を紡ぎ合いたいですね。

 

皆様が、神様と有意義な一時を過ごせるようお祈りします。

 

心のともしび運動 松村信也