再びコロナ禍で迎えたお花見でしたが、気を配りながらも爛漫と咲く桜に心身を癒されました。
北国にお住いの方は、これからですね。 教会では4月4日に「復活祭」を迎えました。 "ご復活おめでとうございます"。
さてコロナ禍での生活が始まり丸々一年、こんな時だからこそ、希薄になった"思いやりの心"を、互いに実践する機会だと決めていました。ところが思いやるどころか、互いが監視し合うような方向になっていませんか。
感染拡大ニュースを聞かない日は無かったこの一年、ニュースにマインドコントロールされたのか、人を監視していた自分に気づかされ、自責の念にかられました。幼い頃、母から「人の振り見て、我がふり直せ」と厳しく言われた。それがいつの間にか「自分さえ良ければいい」という身勝手さから出た邪悪な心に気づかなかった。この邪悪な心を、「思いやりに溢れた心、優しい利他の心」を我が心とする為に"必要なもの"は何か、思い悩みました。
ある日の午後、散歩途中に近くのお寺に入りました。広い境内は、歩く路も庭もすべて掃除が行き届いていました。「あっ!」、かつて住職に言われた言葉を思い出しました。その言葉は、哲学者J・アレン(英)の言葉とも重なりました。「人間の心は、庭のようなものです。・・・心というものは、自分で手入れしなければなりません。美しい心を保つためには、常に自分の心の状態をよく確認して、手入れする必要がある」と。住職の言葉も同じでした「庭を掃除するのは、自分の心の掃除でもあるのです。心の掃除ですから毎日やらなければなりません」と。
コロナ禍での生活は、正直、疲れます。でも人としての大切なことを教えられます。 主の復活と共にコロナの収束、そして真に新たな門出を期待しましょう。
祈りのうちに
心のともしび運動 松村信也