10月にイスラエル巡礼のご報告をお送りした直後、悲惨な争いが始まり大きな衝撃を受けております。人智を集めて何とか解決できますように願い、これ以上人命が奪われませんようにと毎日神様にお祈りしています。
さて、今年の明るい話題で、すっかり耳慣れた言葉「二刀流」から。
「二刀流」と言えば大リーグで活躍する大谷翔平選手が目に浮かぶ人が多いことでしょう。世界の大スターになってもおごることなく、周囲に気を配ることのできる誠実な人柄が世界中の人から愛されています。
でも、元祖二刀流は?と問われれば、やはり江戸時代初期の剣豪、宮本武蔵ではないでしょうか。文字通り剣の二刀流として名を高め、晩年「五輪書」を執筆しました。書の中で、肉眼で見えるものを捉える「見る」とは別に、物事の本質をみぬく「観る」を取り上げて、「観見の二つあり、観の目強く、見の目弱く」という言葉を遺しています。
わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。
見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです。
(パウロのコリントの信徒への手紙 Ⅱ 4章18節)
「見えるもの」とは、外見だけでなく、日常生活での迷いや悩みなど、私たちを取り巻く多くのものが該当しています。
パウロは「わたしたちは落胆しません」(16節)の続きに先ほどの聖句を記しています。「落胆しません」の言葉から逆に、パウロは落胆してしまいそうな苦しみの最中にこの手紙を書いたのではないか、と想像してしまうのです。健康面の心配だったのかもしれません。遭遇する難題に心が折れそうになっていたのかもしれません。しかし、目に見える物の奥にある、目に見えない存在である神に目を注ぎましょうと、パウロはコリント教会のメンバーへ、そして何よりも自分自身に呼び掛けているのだと思うのです。
パウロは手紙を記して、私たちが神に目を向けるよう促してくれています。野の百合や空の鳥は、私たちの視線を、創造主である神に向けるよう導いてくれています。来たるべき年も、神が目に見えるもの、見えないものを通して示して下さる愛の呼びかけに心を開いて生きていくことができますように。
後になりましたが、今年も変わらず心のともしび運動をご支援くださいましてありがとうございました。長きに渡り活動を継続出来ますのも、ひとえに多くの方々のご尽力と、皆様からのご支援、お祈りあってのことです。心から感謝し御礼申し上げます。
来年もどうぞよろしくお願いいたします。
心のともしび運動YBU本部
代表役員 阿南孝也
職員一同