立ち上がろう

2024年02月10日の会員さんへのお便り

 さて、私が長く疑問に思っていたことがありました。イエス様がヨハネからヨルダン川で洗礼を受けられたことを聖書は伝えているのですが、なぜイエス様が洗礼を受けられたのでしょうか? ということです。今回はそれに答を与えてくださった松浦悟郎司教様のご著書をご紹介したいと思います。

 先日、新聞の切り抜きで「ちょっといい話」という記事を見せてもらいました。

 『公園で、一人の幼い子どもが転び急に泣き出しました。そこへ四つくらいの女の子が走り寄りました。こんなとき、みなさんならどうしますか。助け起こすか、励ますか・・。ところが、その女の子は、倒れていた子のそばまで行くと自分も倒れたのです。そして、倒れている子を見てにっこりと笑いました。倒れていた子もそれを見て泣きやみ、そして笑いました。その女の子は『立とうね』と言いました。『うん。』二人は一緒に立ち上がりました。これは命令でもなければ、激励でもありません。相手との共感であり、共通の場に生きることです。わたしはそのとき、神か仏がその女の子に宿ったのかと思いました。』(中略)

 聖書の中にイエスが洗礼を受けたことが記されています。
 イエスが洗礼者ヨハネから洗礼を受けたのは、彼に悔い改める必要があったからではありません。そうではなく、罪に倒れたわたしたちのところに駆け寄り、自らも倒れるなかから「立ち上がろう」と呼びかけてくださったことのしるしではないでしょうか。イエスが悔い改めの洗礼を受けるという、一見理解しがたい行為のなかに、神のともに生きようとする心が輝いているように思えてなりません。この心に触れる人はだれでも、罪から立ち上がろうとする回心の恵みが与えられるのです。

 倒れている人の痛みを共感できなくなりつつあるわたしたちのために、また、あの女の子の姿を「神が宿っている」と感じられなくなりつつあるわたしたちのために、主は、へりくだって悔い改めの洗礼を受けられました。
 *~~~『武器なき世界の実現を』(女子パウロ会)より~~~*

 これからも理解することが難しい出来事に巡り合うことがあるかもしれません。そんな時、マリア様が「心に納めて、思い巡らしていた」(ルカ2・19)ことをお手本として、生きていけますように祈り求めていきたいと願っています。

 現在、「心のともしび運動本部」の周囲ではホテルの解体・新築工事、マンョンの新築工事ラッシュでまだまだ続きます。私たちが埃や振動に耐えて務めを果たすことが出来るようにどうかお祈りください。
 世界平和への祈りと共に皆様の上に神様の豊かな恵みが降りますように毎週のミサの中でお祈りしております。

心のともしび運動YBU本部
代表役員 阿南孝也
  職員一同

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 災害被災者のための祈り

父である神よ、
すべての人に限りないいつくしみを注いでくださるあなたに、
希望と信頼をこめて祈ります。
災害によって、苦しい生活を送り
不安な日々を過ごす人々の心を照らし
希望を失うことがないよう支えてください。
また、亡くなられた人々には、永遠の安らぎをお与えください。
すべての人の苦しみを担われたキリストが
いつもともにいてくださることを
祈りと行動によってあかしできますように。
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

(2021年2月16日 日本カトリック司教協議会認可)