祝福しながら天に上げられた

2023年04月10日の会員さんへのお便り

 主のご復活おめでとうございます

 いつも心のともしび運動をお支えくださいましてありがとうございます。
 皆様の篤いご支援によって今年度もスタートを切ることができました。

  

 さて、今回は主のご昇天(今年は5月21日)について考えてみました。

「イエスは、そこから彼らをベタニアの辺りまで連れて行き、手を上げて祝福された。そして、祝福しながら彼らを離れ、天に上げられた。彼らはイエスを伏し拝んだ後、大喜びでエルサレムに帰り、絶えず神殿の境内にいて、神をほめたたえていた」(ルカによる福音書24章50~53節)

 弟子たちにとって、ご昇天は、復活されたイエスと地上で共に過ごす特別な日々の終わりを告げるものです。どうして弟子たちは、天に上げられたイエスを見届けた後、「大喜びで神をほめたたえる」ことができたのでしょうか?

 「手を上げて」は、英語の聖書では"He raised his hands."つまり「両手を上げて」祝福してくださったのです。その情景を思い浮かべると十字架上のイエスのお姿と重なります。「父よ、彼らをお赦しください。何をしているのか知らないのです」と祈り、究極の愛を示してくださったイエスのお姿です。

 さらに「祝福しながら」天に昇られたと記されています。お姿が見えなくなった後も、ずっと祝福し続けてくださっていることを確信できたからこそ、「大喜びで」神殿の境内で礼拝したのではないでしょうか。

 福音史家ルカは、ご昇天までを福音書に、ご昇天以降を「使徒言行録」に記しました。福音書では、先頭に立つイエスに弟子たちが従っていましたが、使徒言行録では、祝福し続けてくださるイエスに力づけられた弟子たちが先頭に立って、聖霊の働きを受けて宣教する姿が描かれています。

 使徒たちを中心とした「教会」(ギリシア語で「エクレシア」:集められた人々の意)には、祝福を受けた喜びが満ちていました。

「使徒たちは、大いなる力を持って主イエスの復活を証しし、皆、人々から非常に好意を持たれていた」(使徒言行録4章33節)

 2000年後の現在、イエスが共にいて祝福し続けてくださることを信じる私たち。コロナ禍で制限されましたが、再び教会に集い、ミサ聖祭に与り、それぞれの生活の場に派遣されています。

 心のともしび運動で働く私たちも、使徒たちに倣って、大きな喜びを持って証し人として生きていくことができますよう、主の導きを願い、祈ります。

 

 今後ともお祈りとご支援を賜りますよう、何卒よろしくお願い申し上げます。

心のともしび運動YBU本部
責任役員 阿南孝也
職員一同