ヨハネは、イエス・キリストの12使徒の1人であり、使徒ヤコブの弟で兄と一緒にガリラヤ湖畔で兄ヤコブと漁の網を繕っていた時にイエスに声を掛けられ、イエスに魅了され父親と舟すべてを捨てて従った人である。ヨハネも兄同様気性が荒く"雷の子"とイエスから"アダ名"された。しかし、兄ヤコブも弟ヨハネもイエスから特別に愛された弟子であり、12弟子の中で最年少だったからか、一番愛された弟子と言われている。それを顕しているのは、レオナルド・ダヴィンチの「最後の晩餐」の絵の中でイエスのすぐ側に座るヨハネの姿から窺える。またイエスの十字架刑の際には、その十字架のもとに立っていた時、イエスから母マリアを自分の母として世話するように委ねられた弟子でもある。事実、彼の福音書の中で自身が実感していたことを「イエスが愛された弟子」と記述している事からも自明である。
彼の福音書は、他の3つの福音書と比べると、その内容から他の福音書と異なり神秘性が深いのを感じさせる。またヨハネは、いつもイエスの傍で見聞きしたことを、ヨハネ独自の解釈から描かれていると伝えられている。
イエスの復活後、ヨハネは、エルサレム教会の指導者としてペトロとともに活躍したと伝えられる。またパウロの殉教後には、エフェソの司教として小アジア教会を司牧したとも伝えられる。しかし、彼もローマ皇帝ドミチアヌスのキリスト教迫害で捕らえられ、パトモス島に流刑された。そこでヨハネは、様々な幻を見て、それらをまとめ記したのが「ヨハネの黙示録」である。
流刑が解き放たれたのち、エフェソに戻りそこで「ヨハネ福音書」と3つの「ヨハネの手紙」を著したと伝えられている。これら彼の記した著は、紀元100年頃とされている。そこからヨハネは90歳頃まで長生きしたのちに、殉教されたと伝えられている。