聖ラウレンチオは、225年、スペインのウエスカ(アラゴン州、バルセロナの西北273km)で生まれる。当時スペインは、まだローマ帝国の支配下で皇帝ヴァレリアヌス治世によりキリスト教を禁じていました。にもかかわらず、信仰深い両親のもとで育てられたラウレンチオは、とても勤勉家でローマ教皇シクトスの執事として、教会財産の管理を任せられ貧しい人々への施しを担当しました。258年、皇帝ヴァレリアヌスによるキリスト教の弾圧により、教皇とラウレンチオ以外の執事が逮捕されました。逮捕された教皇は、すぐにラウレンチオに、早急に教会の財産を貧しい人々に施すことを命じたのです。その後、教皇シクトスは皇帝に処刑されました。幸い、ラウレンチオは自分が逮捕される前に、貧しい人々や体の不自由な人々に大半の財産を分け与えていました。ところが皇帝は配下の者を使って、ラウレンチオに教会財産を渡すように命じたのです。しかしラウレンチオは、貧しい人々を連れて来て、彼らこそ教会の財産であると主張しました。そのことが原因でラウレンチオは、皇帝から残虐な火あぶりの刑に処せられる事になりました。
ラウレンチオは、残酷極まる刑の激痛に耐え忍んで、一言も戯れ言を吐かなかったらしいと伝えられています。また火刑の最中、彼は刑吏に「私の向きを変えて下さい。もうこちらの方は十分焼けたようですから」と言いながら息を引き取ったと伝えられています。それが起因か明確ではないが、聖ラウレンチオは、火傷、火災、熱病から守る保護者として、さらに料理人の守護の聖人ともされ、世界中の人々から今も厚い尊敬を受けています。