イエスの変容について記述されているのは、マタイ、マルコ、ルカの三つの福音書(共観福音書)です。聖書注解書によりますと、3人の弟子ペトロ、ヤコブ、その兄弟ヨハネがイエスの栄光の啓示を受けます。その啓示は、ゲッセマネの園での苦しみに立ち会うのと同じ3人の弟子に与えられるために、イエスは、3人の弟子たちの見ている前で太陽のように輝き、衣は光のように白くなったという"変容の出来事"を記念するのが今日の祝い日です。この主の変容は、栄光の啓示であると同時に受難と復活の啓示でもあります。つまり、イエスの受難と復活は、神の栄光を表わす輝かしい姿であり、キリストを信じる人々に苦しい時の支えになる"希望と忍耐のしるし"を先取りした啓示なのでしょう。人間は誰でも人生の途上で大なり小なり苦難に会う時があります。そんな時、望むと望まないと、他者に対して惨めで情けない姿をさらけ出すかも知れません。しかし、そうした時にこそ人間の苦難の全てを主に委ねるとき、神の栄光(恵み・憐れみ)を受け、主によって光輝くものへと変容させられることを忘れないでほしいというメッセージが込められています。
主の変容の祝日、それは今まさに苦しんでいる人々に、その苦しみから希望、そして必ず栄光へと導いて下さる神の存在、神の恵みを思い起こして欲しいのです。イエスは変容の後、弟子と共に山を降り、それまでの社会に入って行かれます。それは人間に与えられた地域社会で苦難な出来事に出会っても、必ず、復活の栄光へ導かれることを、個々の生活の中でいつも思い起こすことの大切さ、忘れる(失う)ことのない希望を持って忍耐しつつ享受する為です。
因みに主の変容を東方教会では、5世紀頃から祝っていたそうです。西方教会では教皇カリストゥス3世によって、1457年から正式に祝うようになりました。また四旬節の典礼では、主の変容の箇所が、第2主日に朗読され、その意義を一人ひとりのキリスト者に必ず、思い起こさせる為なのです。ご存知でしたか?