人は何故この世の虚しく消え去るお金、名誉、栄光を求めてあくせく働くのでしょうか。本物の栄光、真の名誉は人が努力して獲得できるようなものではなく、与えられるものなのです。"神の栄光"、それは地上で儚く消え去る栄光ではなく、いつまでも消えない栄光です。その神の栄光がイエス・キリストを通して、すべての人に顕現した「主の公現」の祝い日なのです。4世紀以降、神の栄光の顕現ですから、主の御降誕、主の洗礼、カナでの最初の奇跡などでも、お祝いされていたそうです。特に、占星術の学者の訪問は、異邦人へのメッセージであったことから、すべての国民へ救いの光が輝き始めたということを賛美する特別な日として大切にされています。教会の中で大切にしている一つの証拠に、その日の典礼は主の御降誕、神の母マリアに並んで、暦年A.B.Cとも同じ朗読箇所になっています。遠い東の国から星に導かれて、やっとの思いでベツレヘムにたどり着いた東方の占星術の学者たちは、夜空に輝く星の元で「救い主」に出会った。そこは立派なお屋敷の中ではなく、村人にも誰にも招かれず村外れの屋根もない、やっと身を寄せられる貧しい家畜小屋らしき小さな場所でした。そこにヨセフとマリアの寵愛の温もりで白布に包まれ飼い葉桶に寝かされた「主の栄光」を発見したのです。この常識を覆すあり様は、今も昔も古今東西、私たちの求める「栄光」とは全く異質なものなのです。この日「主の公現」をお祝いするとき、そのことに思いを馳せながら「神の栄光」についてご自身に問いかけてみませんか。