近藤雅廣神父は、レデンプトール修道会で神学生だった頃、「心のともしび運動」の宣教活動は、素晴らしいなあと思っていたとか。ある時、ハヤット神父から、テレビ番組への出演を依頼されたことから、心のともしび運動と関わるようになりました。

 

【1969年】

 近藤雅廣神父は、大学生の時、神父になろうと決心し、20歳の時、舞鶴教会へ行きました。そこで素晴らしいレデンプトール会の神父に出会いレデンプトール会への入会を決意、1969年、30歳で叙階されました。

 叙階後、近藤神父は、名古屋で貧しい人々や苦しむ人々に、愛の手を差し伸べる「愛の実行運動」を行なっていました。

 

【1972年】

近藤雅廣神父Photo 「愛の実行運動」に励む近藤神父に、ハヤット神父から、テレビ番組「心のともしび」への出演依頼が来ました。近藤神父がその番組に出演したことが縁で、それ以後テレビ番組の聞き手となり、教会で宣教司牧活動を続けながらこの番組の司会を15年間続けました。

 

【1974年】

 この年、心のともしび運動のテレビやラジオ番組の必要性、効果性について検討するためのYBU理事会が濱尾文郎司教様を理事長に発足され、近藤神父は理事としてそのメンバーに加わることになりました。

 

【1979年】

 近藤神父が、東京YBU(カトリック放送センター)の責任役員となり、2年目の1981年、東京YBUが移転することになり、移転先を検討していた時、近藤神父の所属修道会であるレデンプトール会の管区長より、YBU理事会の理事長に、近藤神父の退任要請があり、近藤神父はレデンプトール会に戻り、教会で宣教司牧活動に専念することになりました。

 

近藤雅廣神父Photo 日本の司教団は、ハヤット神父と、心のともしび運動の後継者として認められていた近藤神父が、常に、司教団の指導を受けながら宣教活動を行なっていきたいと望んでいることを知っていました。また、司教団も、この運動が重要で、意義深いものであること、また、司教団の使命は、この運動を日本におけるカトリック教会の活動として、評価し指導、また、育成することだと認識していました。しかし、司教団が、直接この運動の運営に関わるべきかについては、長い間、検討されてきました。

 そして、最終的に心のともしび運動の将来を鑑みて出された司教団の結論、それは、ハヤット神父とハヤット神父が後継者として信頼する近藤雅廣神父に別法人の設立を勧めることでした。

 

【1993年】

 近藤神父が心のともしび運動を継承する意思があることを知ったレデンプトール会の管区長は心のともしび運動に、再び、近藤神父を派遣してくださいました。近藤神父は、東京から神奈川県川崎市に移転していたカトリック放送センターの責任者として着任するや、心のともしび運動の宗教法人設立に向け、準備することになりました。

 近藤神父は、カトリック河原町教会の京都教区事務所で働く信者の方の協力を得て、設立準備に奔走しました。近藤神父の地道な調査、資料集め、そして努力により、代表役員にハヤット神父、そして、東京教区から白柳誠一枢機卿様、京都教区から田中健一司教様、そして、近藤神父、マクドナル神父の4人の責任役員のもと、宗教法人「カトリック善き牧者の会」は、京都府知事によって認可されました。1994年もすでに終わろうとしていました。

 

近藤雅廣神父Photo【2001年】

 近藤神父は、この年の4月から翌年3月まで毎月1回、テレビ番組「心のともしび」に「私は誰ですか」というタイトルで出演し、その後それを DVDに収め、また、本にもまとめ出版しました。

 

【2002年】

 心のともしび運動はめでたく宣教50周年を迎えることができました。東京カテドラルマリア大聖堂で心のともしび運動50周年記念ミサが捧げられ、多くのお恵みをいただいた神様に、そして、この運動を支えてくださった多くの方々に感謝したのでした。

【2003年】

 近藤神父が、代表役員に就任し、京都に居を移し、テレビ番組、ラジオ番組によるマス・メディア宣教にますます邁進することになりました。

 

近藤雅廣神父Photo【2006年3月】

 この年、残念ながらテレビ番組「心のともしび」の放映が終了しました。と同じ頃、近藤神父は、レデンプトール会から、今後、教会で宣教司牧活動するようにと命じられレデンプトール会へ戻ることになりました。

 テレビ番組の聞き手になり、ハヤット神父やマクドナル神父と共に30数年間働いた近藤雅廣神父は、現在、82歳、西舞鶴教会で宣教司牧にご活躍されています。


 

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