2018年11月26日の聖書の言葉

あなた方は人々の面前で天の国を閉ざす(マタイ 23:13)

この世に生を受けたわたしたちは、いつも健康で元気な毎日を希望しています。

その上、楽しさがあるともっと元気が出ます。

心身ともに明るく、皆が一緒に同じ道のりを平和の裡にあゆみ続けていきたいです。

道のりの途中で「邪魔者」が出現しても、ひたすら天の国を目指して。

絶対に、神が天の国を閉ざすことはあり得ないのです。

どうぞ、わたしたちの信仰を増してください。

アーメン。


2018年11月19日の聖書の言葉

イエス・キリストが現れる時に与えられる恵みを、ひたすら待ち望みなさい(ペトロの第一の手紙 1:13)

わたしたちの日々は、いつも、何処にいても、神に支えられています。

このことを確かめる術をわたしたちは知りませんが、「わたし」が知らなくてもその事実に変わりはありません。

わたしたち一人ひとりは聖なる生活へと招かれているのです。

わたしたちの毎日は、そのための道のりです。

主の招きにふさわしい生きる姿を、日々整えることができますように。

アーメン。


2018年11月12日の聖書の言葉

わたしたちは目に見えないものを望んでいるので、辛抱強く待っているのです(ローマ 8:25)

人は、五感で感知し、認識できるものに対しては確信を抱くことができます。

しかし、そうでないものに対しては「望む」ことができるのです。

したがって、辛抱強さが大事になってきます。

「目に見えないもの」「取得できていないもの」に対するあこがれが強いほど、辛抱できます。

天の国へのあこがれはどうでしょうか。

見えないし、体験もないがゆえに、希望し続ける道が開かれています。

主よ、どうか辛抱強く望みを抱かせてください。

アーメン。


2018年11月05日の聖書の言葉

わたしの魂よ、なぜ、ため息をつくのか。神を待ち望め(詩編 42:6)

わたしたちの日常は、いつも順風満帆ではありません。

「順風満帆」を願っても、祈っても、その通りにならないのです。

代わりに出るものは、望みもしないのに「ため息」です。

今月は、特に、亡くなった人を思い出し、そのご冥福を祈り、また、わたしたちのために祈っていただく月間です。

わたしたちは見捨てられたのではなく、ため息をつくのでもなく、ひたすら「待ち望む」姿勢を、日々培いながら神のもとに召されていきますように。

アーメン。