
ブルゴス大聖堂(スペイン)
②第二バチカン公会議公文書-7
終わりに;
第二バチカン公会議は、時代と共に移り変わる使徒職について論じられたのではなく、望ましい使徒職、つまり、初代教会において行われていた使徒職に戻ろうとしているのです。それはまたキリストの教会が将来ともに益々活気ある「宣教する教会」となるためには、信徒の使徒職を重視した「画期的出来事」と呼ばれる公会議の精神を実践していくことでもあります。
我が国はカトリック教会の開発途上国であり、未だ宣教国である日本の教会が、第二バチカン公会議の精神を受け止め、さらに前々教皇ヨハネ・パウロ二世来日に鼓舞されて1984年「日本の教会の基本方針と優先課題」を発表しました。
そして、まだ記憶している信徒も多いと期待する、長年の夢を叶えた戦後日本の教会の一大イベント、第一回福音宣教推進全国会議(NICE-1)「開かれた教会づくり」が、1987年京都教区で開催されました。この6年後1993年には、第二回福音宣教推進会議(NICE-2)「家庭の現実から福音宣教のあり方を探る」が、長崎教区で開催されました。
ところが幸か不幸か、これからと意気込んでいた矢先の1995年1月阪神淡路大震災が関西地域を中心として宣教推進活動に否応無しに歯止めをかけられたような格好となってしまいました。
さらに追い討ちをかけるように同年3月には、東京霞ヶ関で地下鉄サリン事件が勃発、宗教法人のオーム真理教による事件でこれを契機に宗教法人全体が揺るがされることになりました。1997年には宗教法人法の改正により、宗教法人格を持つ各団体は、その事務手続きに追われ、宣教推進ムードが一転して団体組織の行政改革ムード優先となりました。それらが契機か定かではないが、いつしか、次第に信者の心から宣教推進意欲がどこかに置き忘れられてしまったように思います。
第一回全国福音宣教会議開催から20年後、司教団はNICEの振り返りを実施しましたが、あまり積極的な意見を確認することはできませんでした。そして、あれからまた20年が過ぎた2022年現教皇フランシスコの命を受け2023年バチカンで開催される「シノドス」(世界代表司教会議)に向けて、信徒も参画する "ともに歩む教会のためー交わり、参加、そして宣教" と題した信徒から現場を反映させる意見収集が全国的に実施されました。現代カトリック教会が抱える具体的な問題を、2023年のシノドスでどのように信徒の意見を反映させるか、そのためには信者一人ひとりの前向きな参画にかかっているのです。
もう後のない日本の教会だと思います。この機会を信者一人ひとりが、真剣に受け止め自発的に参画できますように。
心のともしび運動 松村信也

サンタ・マルタ教会(スペイン アストルガ)
②第二バチカン公会議公文書-6
第六章:使徒職への養成について
使徒職の遂行における現実は、安易にできるものではありません。そのためすべての信徒の心構えに必要な基本的養成プラス各人の性格や才能、周囲の環境や職業の場に応じた幅の広い、弾力性に富んだものが要求されます。それはまた公会議の精神に則った養成でなければならないからです。その養成とは、次のようなことが挙げられるでしょう。
「信徒はとくに、自分たちによらなければ教会が地の塩となり得ない場所と環境において、教会を存在させ活動的なものとするよう招かれている」(教会憲章33項)。「それゆえ、聖なる公会議はすべての信徒に、主において次のように切願する。すなわち、今この時にあってより切実に信徒を招かれるキリストの呼びかけと聖霊の促しとに、自発的に、寛大ですぐにこたえる心の姿勢をもって応じるように、と」 (本教令勧告33項) 。キリストの教会が、現代社会の中に力強く生きてその使命を完遂するためには、この信徒の働きがなければならないのです。
本教令は、キリストの信徒として望まれるべき姿、信徒使徒職がいかにあるべきかを述べています。そして、その目的を「主ご自身がこの教会会議を通してあらためてすべての信徒を招いておられるからである。すなわち、日々ますます密接に主に結びつき、主に属するものは自分のものと思いつつ(フィリピ2:5 参照)、主の救いの使命に参与するように、と。主は、ご自分が行こうとされるすべての町と所に、新たに信徒を遣わす(ルカ10:1参照)。
こうして信徒は、時代の新しい要求に絶えずこたえるべき、教会の唯一の使徒職の種々の形態と方法を通して、自分たちが主の協力者であることを示す。それは、主にあって自分たちの苦労が無駄にならないことを知りつつ、常に主のわざを励むからである(Iコリント15:58)」と本教令の結びに"勧告"としてまとめています。

セゴビア大聖堂(スペイン)
②第二バチカン公会議公文書-5
第五章:守るべき秩序について
信徒使徒職はいかなる場合、いかなる場所であっても必ず根底にキリストの愛に基づく正しい秩序において、活動が遂行されなければなりません。ここで教令は、その秩序に二つの方向があることを指摘しています。
まず初めに、縦の方向における秩序、聖職位階ヒエラルキアとの関係です。つまり、福音書の中で言われる教師として派遣された12使徒の後継者である司教(司祭)との一致における秩序です。司教たちは「どうか、あなたがた自身と群れ全体とに気を配ってください。聖霊は、神が御子の血によってご自分のものとなさった神の教会の世話をさせるために、あなたがたをこの群れの監督者に任命なさったのです。」というこの任命された人たちです(使20:28)。また本教令24項で記されているように、どのような事業も、教会の正当な権威の同意がないものは、「カトリック」という名を自称することはできないのです。つまり、カトリックの組織とは認めないということです。したがって、信徒使徒職は縦の方向における秩序の一致、個人によるもの、組織団体によるものを問わず、すべて司教との一致において初めて神の民として教会の行使する使徒職となるのです。このことが信徒使徒職の本質的要素であると教令の中で断言しています。
しかし、双方の本質的な性格とその違いは保つようにすることも大切です。特に、教会共同体の中で固有な役割を持つ信徒たちが、自発的に行動するのに必要な自由を奪わないことも注記しています。
次に横の方向における秩序は、すべての使徒職団体の目指す目的は、キリストの体の発展以外にはないということです。
使徒職の活動は、時間の流れとともに様々であっても"目的は一つ"ですから、それぞれの組織団体相互間における、尊敬と一致の精神を常に育みながら活動しなければならないのです。
また活動が全国的レベルで行われる場合には、聖職者(教区司祭・修道司祭)と信徒間の緊密な協力も必要であり、その為に各教区、また小教区に協議会を設置することが勧められています。それは使徒的活動を助け、信徒の種々の団体や事業の調整に役立つからです。この協議会の目的は、すべての信徒のための新たな養成機関になります。
また本教令は、キリスト者のみならずキリスト者以外の人も含むすべての善意ある人々との協力と活動にも積極的になることを勧めています。
このように信徒は、現世の諸活動において重要な意味を持つこうした活発で賢明な一致と協力によってキリストをこの世に証するのです。