2020年03月29日の聖書の言葉

赦しのある所には、罪を赦す献げものは必要ではない(ヘブライ人への手紙10:18)

神よ、あなたに似せて創造されたわたしたちです。

ひたすら、わたしたちの生きる道は、あなたに向けられているのです。

あなたは今日もゆるし続けられます。

先にわたしたちは赦されているのです。

ただ感謝の祈り、心を捧げているんですか、とわたしたちは問われています。

日々、小さなことしかできませんが、ありがとうの心を大事にさせてください。

アーメン。


2020年03月22日の聖書の言葉

御子に結ばれることによって、わたしたちは罪の赦しを得ている(コロサイの人々への手紙1:14)

主よ、わたしたちは、困ったことが起きると、気持ちが落ち込んでしまいます。

どうにかしてそこから抜け出そうとしてもがきます。

そして、いつもあなたに助けていただいているのに、不平不満が募るのです。

あなたにつながっていることのありがたさ、それゆえの喜びを感じていないのです。

今もいつも、ゆるされ続けていることを感じ、喜びを沸きあがらせてください。

アーメン。


2020年03月15日の聖書の言葉

主は怒ること遅く、慈しみに満ち、悪と背きを赦す(民数記14:18)

主よ、あなたは、いつもわたしたちを見守っていてくださいます。

また、かつてイスラエルの民を、あなたの慈愛の心から荒れ野へ導き、約束の地に連れていかれたように、今のわたしたちにも、同じいつくしみを注がれます。

それでも、わたしたちの世には悪と背きが蔓延しています。

あなたの慈しみに勝るはびこりかたです。

と言っても、あなたは忍耐強くわたしたちの立ち戻りを待ちつづけます。

そして赦す時を待っておられるのです。

どうぞ、わたしたち一人ひとりをもっと素直にさせてください。

アーメン。


2020年03月08日の聖書の言葉

神のいつくしみはあなたを悔い改めに導く(ローマの人々への手紙2:4)

神よ、わたしたちは、よく他人を裁いていることがあります。

しかも、そのことに気づかないのです。

いわゆる「習慣化」しているのでしょうか。

自分はそうしていながら、他人がある人を裁いているのを見て、その人を非難するのです。

そして、いやな自分に気づきます。

これはあなたからの恵みです。

あなたの豊かな慈愛をないがしろにはできません。

日々の生き方の中で、「悔い改め」の大切さを感じさせてください。

アーメン。


2020年03月01日の聖書の言葉

神は異邦人にも、命に至る悔い改めをお与えになった(使徒言行録11:18)

主よ、わたしたちは、しばしば、何処かは分かりませんが、大事なもの、ことを置き忘れることがあります。

「忘れる」のですから、わざとしているわけではないのです。

だからこそ、本来の自分を取り戻す機会を作る必要を感じています。

今、自分自身を省みる時、自分が自分に期待していた姿でしょうか。

カトリック教会の典礼暦は四旬節です。

信者だけではなく、すべての人が、人としての自分らしい姿を保ち、発展させているでしょうか。

必要ならば、すべての人に「悔い改め」の恵みをお与えください。

アーメン。