2018年08月27日の聖書の言葉

幼子の一人を、わたしの名の故に受け入れる者は、わたしを受け入れるのである(マタイ 18:5)

楽しかった子どもたちの夏休みも、まもなく終わります。

この間、子どもたちに新たに学ぶこともあったのではないでしょうか。

或いは、子どもたちに、新しい何かを発見できたのでは。

こんなすばらしいものを持っていたのか、と気づかされたことはなかったでしょうか。

主よ、わたしたちは、誰かに励まされ、助けられながら日々を生きています。

子どもたちが持っている吸収力、集中力、学び力をわたしたちの中に、新たに燃え上がらせてください。

今日一日を捧げて祈ります。

アーメン。


2018年08月20日の聖書の言葉

主に忠実な者の死は、主の目には惜しむべきもの(詩編 116:15)

今年も終戦の日を迎えました。

わたしたちの先輩として、恩人として亡くなられた方々のために、心からの祈りを捧げます。

わたしたち一人ひとりは、それぞれの役割をいただいて生きています。

それは、すべてがお互いのためになることであり、無駄なことはありません。

わたしたちの生涯は、心地よいものとしてその終わりを迎えることができますように定められています。

今日の一日、自分のすばらしさに気付かせてください。

アーメン。


2018年08月13日の聖書の言葉

わたしたちの先祖の神は、‥あなたをお定めになったのです (使徒言行録 22:14)

この世に生をうけたわたしたちは皆、それぞれに生きている評価をいただいているのです。

それは、神を信じているからであり、その導きで受け止めることができます。

そして、自分に託されている役割がなんであるのかも発見できます。

そのように神が「わたし」を選んでくださったということです。

だからこそ、神はいつもそのために必要な力と恵みをお与えくださいます。

今日も一日、よろしくお願いします。お導き、お恵みをください。

アーメン。


2018年08月06日の聖書の言葉

悪を離れて善を行い、平和を求めて、これを追い求めよ(詩編 34:15)

人は弱い存在です。

このことはよくわかっているのに、どこかで強がりを言ったり、振舞ったりします。

自分一人では生きていけないとわかっていても、他者を無視して、自己顕示欲を満足させてしまいます。

ここに、いさかい、行き違いの原因があるような気がします。

ケンカが国と国になると戦争になります。

それは、何が何でもあってはなりません。

今週は、広島、長崎で被爆した日を迎えます。

戦争のない平和な「今」を追い求め続けましょう。

まずは、「わたし」の中で実現しますように。

アーメン。