棚田の稲刈り

毎月のお便りイメージ

 先月、修学院離宮内の棚田の稲刈りを手伝いました。この棚田は離宮造営当初から借景とされていたのですが、今は国が土地を買い上げて農家に貸し出しています。7年前、当時大学教員の同僚が学生たちに参加してもらって棚田での稲作を始めたのでした。

 今の稲刈りは、機械一台で刈り取りから脱穀までを一気に済ませます。けれどもこの棚田の稲刈りでは、それをしません。まず刈取り機でイネを刈り取ってから結束し、その稲束を数人がかりで稲木 (いなき)に「はさ掛け」します。数日の間、天日で乾燥させた後にやっと脱穀にかかるのです。手間暇かけて稲木を(しつら)えるのは、稲木のある棚田風景を存続させたいという離宮側の要望からです。

 昭和30年代、幼い私が父の実家のある農村で体験した稲刈りを思い出します。大勢でワイワイ言いながら、鎌で刈り取った稲わらを稲木に掛けていました。いまや田植えも稲刈りも1人で田植え機やコンバインを運転する作業です。その光景は、スマホで音楽や映画を楽しむ日常となんだか重なります。

 教会共同体の中でミサに一緒に与るだけでなく、大掃除やクリスマスの飾付など共同でする行事があるときの方が、他人と積極的に関わろうとする方が多くなるように思います。「分かち合い」をするときに積極的に発言してくださる方が多くなるように。
 時と場を共有して一緒に作業することで、人と人とのつながりが作られていくのを実感します。

 「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。」(マタイ18:20)というイエスの言葉には、誰かと一緒に隣人のため働くときにこそ共にいてくださるという意味が込められているような気がします。

心のともしび運動 奥本 裕