卒業生の答辞

毎月のお便りイメージ

 初めまして、この5月、阿南孝也に替わって代表役員を務めることになりました奥本裕と申します。
 どうぞよろしくお願いいたします。

 このお便りを読んでいただくころにはガザ地区での戦闘やウクライナでの戦争が終結にむけて動き出しているでしょうか。私たちは戦闘行為によって多くの命が奪われていく報道に触れて心を痛めてきました。なぜ止められないのか、と思いながらも具体的な行動ができないことに空しい思いを抱えています。

 今年3月初め、母校の高校での卒業式に参列する機会がありました。
 卒業生代表が読み上げた答辞の中で、生徒たちの学校生活がコロナ禍によって翻弄されたことに並んで、ウクライナとロシアとの戦争の現実を目の前にして経験した社会への深い絶望感が語られました。

 そんな答辞を聞きながら、多くの命を奪う行為が許されている現実に若い心が傷つけられていることに、そして私たち大人の社会がその傷ついた心に無関心過ぎたことに、心が痛みました。

 戦闘と殺戮がテレビやインターネットの映像を通して伝えられるのに、生徒たちには私たちの社会が残虐行為を黙認しているかのように見えているのです。私たち自身もガザやイスラエルから届く映像に無力感を感じますが、これから社会に歩みだそうとする卒業生にとっては、そんな社会には暗い未来しか見えません。

 その暗い未来に出ていく生徒たちの心情に触れて暗澹たる思いに陥りかけたのですが、最後まで聞いて、逆に私は後輩たちから思いがけない気づきをもらいました。答辞が次のような力強い言葉で結ばれていたからです。

『我々は誓う。世界がたとえどれほど悪かろうと、それをよりよくし、後の世代へと引き継ぐことを。どんなに笑われようと、今この時を生きる。我々は、仲間がいて、皆で切磋琢磨し、そして、この場に立った。親の愛情を一身に受けて育った。先生方の薫陶と哲学を受けて育った。
 我々は叫ぶ。時代のせいになどしてたまるものか。我々は生を歓び、仲間を愛し、自立する。そんな言葉は役に立たないと、罵声を浴びせるだろう人たちにも、叫ぶ。
 我々は、こんなものじゃない。我々の将来を、悪いものだとは言わせない。我々は希望を持ち、絶望を拒絶し、そして、過去ではなく、未来を生きるのだ。わたしたちの、未来へ!』

 (洛星高校68期生答辞原稿より)

 現実に絶望したとしても、生徒たちの周りにあって、生徒たちを当たり前のように支えている様々な繋がりは「我々は、こんなものじゃない」と言い切る力を若い心に与えるのです。理不尽な現実を前にしてもなお「絶望を拒絶」できる若い心を支えるのは私たち大人にとって大切な、担うべき役割だ、という至極当然のことに改めて気づかせてくれた後輩に、最大限の敬意を表したいと思います。

 私たち自身も、どんな状況にあっても明日への希望を持ち続けていけますように願い、祈ります。

心のともしび運動  奥本 裕