2022年11月20日のキリスト教の歴史
聖ヴィート大聖堂(チェコ・プラハ)

明日の教会に向けて

②第二バチカン公会議公文書-4

『信徒使徒職に関する教令』

第四章:使徒職のさまざまなあり方について (使徒職の種々の方法)

 使徒職実践の具体的な在り方として、個人として行う使徒職と団体、会に加入して行う使徒職に分け、それぞれ使徒職のあり方をあげます。

 *個人としての使徒職の重要性*

  1. 信仰、希望、愛からにじみでる生活全体による証であること。
  2. ある環境において絶対に必要な、ことばによる証であること。
  3. 市民としての、この世の秩序の再建とその運営に対する協力。
  4. 自分の生活を愛で活かし、それを行為にあらわす愛の実践。
  5. 公的礼拝、祈り、苦業などによる世界の救いへの貢献である。

 これらは使徒職の目的でもあり、分野でもあって互いに絡み合っており、実践において生かされるとき、これらは相乗効果をもたらすのです。そして、この方法は、団体、会として行う使徒職を含めたすべての使徒職の根源でもあるのです。

 それぞれの能力に応じた働き(自己性の自覚)、プラス他者性を考慮した行為こそ、キリストの行為に倣うことであり、キリストを生きるのです。しかし、この世に派遣された教会の使命を遂行するために個人の力には限界があります。そこで団体、会に加入して行う使徒職があります。

 *団体としての使徒職の重要性*

  1. 一致協力による組織、団体の力を生かし、現代社会に対応する。
  2. 一致協力した共同体の姿こそ真に教会共同体の象徴である。
    「私の名によって2、3人集まるところには、私もそこにいる」(マタイ18-20)。
  3. キリストを頭に、それぞれの能力、カリスマに応じて集う団体とするなら、派遣される場として現代社会の中に、有効に、賢明に、勇敢に造り上げられなければならない。
    つまり、外面的な活動を志向し、それを推進する。
  4. 団体の活動目的は、団体にとって団体そのものではなく、その活動が教会の目的に合致していることが大切である。

 注意すべきことは、現代社会と派遣される場の環境を充分分析し、そこで何が必要とされているのか、どの様な方法がその社会では大切にされているのかを考察することです。これを無視し、他の場所で上手くいっているから、同じ方法をすべてに当てはめるのは適切な方法ではありません。このことは、その他のいろいろな運動についても同じことが言えるのです。これを前提条件に諸外国へも発展していくことは、大いに推奨されるべきです。

 信徒使徒職の構成員は、彼ら自身同時に現代社会の構成員でもあるから、信徒の使徒職こそ、教会が市民社会と容易に接触できるのであって、信徒の手を借りることなしに教会は、使命を果たし得ないでしょう。
 従って、いろいろな活動に献身的に従事しているすべての信徒に対して、司牧者は感謝の気持ちで彼らを受入れ、彼らの奉仕職に対し、精神的にもかつ物質的にも援助することは大切です。


2022年11月06日のキリスト教の歴史
サン・マルティン・デ・フロミスタ教会(スペイン)

明日の教会に向けて

②第二バチカン公会議公文書-3

『信徒使徒職に関する教令』

 本シリーズは、少子高齢化の進む日本社会の中で、いかに"神の救いの恵み"を人々に気づいて戴けるか。その為には、すでにその恵みを戴いた信徒自身が何をすれば良いかを論理的にお伝えしています。この根幹である第二バチカン公会議公文書(信徒の使徒職を解りやすく論理的に伝える)を再び学習し、次世代に継承できることを期待します。なぜなら「信徒の使徒職は教会の救霊活動そのものへの参与であり、全ての人は洗礼と堅信を通して主自身からこの使徒職を任命される。・・・信徒によらなければ教会が地の塩となることができない場所と環境において、教会を存続させ活動的なものとすることが、特に信徒に与えられた使命である」(教会憲章33)からです。

心のともしび運動 松村信也

『信徒使徒職に関する教令』:

第三章:使徒職の種々の分野について

 キリスト教は、人々の生活を変えていく使命をもっています。しかし、独りの人間の力には、限界があること、すべては聖霊の力によるものであることをよく心に留め、小教区、諸団体は互いに助けあい協力しあい、使徒職の模範である神への愛と人間相互の愛を、小教区の中で示していくことが大切です。そのため家庭は、使徒職の模範を示す、すべてに共通した基盤であると考えます。つまり、夫婦の相互愛は相互奉献のしるしであり、その子供は、神からの賜物とみて尊敬をもって育くむことによって、子供も両親の中に神のみ姿を見出して従おうとするのです。そこに家庭こそが、すべての使徒職の源泉であり、子供が成長して、外の世界に入って自ら更に広い使徒職を行うための教育の場であると考えられるのです。

 また教会の中で青少年は次代を背負う重要な力です。従って、大人たちは、まず自ら積極的に模範を示し、互いに話し合う機会を作り、年代の差を克服し、互いに理解しあうことが大切なのです。そして、大人は青少年たちに機会ある度、賢明な助言と有効な助けをしたり、彼らの使徒職を励ますことによって、青少年は大人に対する尊敬と信頼の念を持つようになるでしょう。しかし、現実をみると、二つの世代の相互不理解と相互不信が見られるのは残念なことです。

 現代の社会環境というとき、常に大きな社会を指して言うのではありません。大きな社会は、小さな社会から成り立っていることを私たちは忘れてはならないのです。同じ仕事仲間やスポーツ仲間、町内会仲間や井戸端会議仲間など、すべて自分の周りにある「仲間意識」を意味しているのです。ほとんどすべてと言ってよいほど、人間はこの意識の中で互いに人生を学び、友情を培い、相互理解と相互援助という命の幅を身につけているのではないでしょうか。このような共同体の種類は千差万別ですが、かなり強い共同体意識で結ばれているのです。
 これらの共同体に、もし神の愛に燃え、自分に託された使徒職に目覚めた人が、それらのリーダーとしての人格的性格と人望があったなら、大いにその共同体に影響を与えることになるでしょう。
 多くの人々は身近な使徒によって福音を聞き、キリストを知る以外に道がないのです。

 国家的単位においても、風俗、文化、習慣などの違いを越えた自然法に基づく道徳律と共通善が追求され、国民の真の福祉と向上とがみられる国家の建設と、その実現を神は望まれているのです。そのみ旨に適う国家建設のために、各人が果たせる可能なものを力の限り果たすよう努めることなのです。