
学生のころ、研修でフィリピンに五か月ほど滞在し、地方と都会の二つの教会でお世話になったことがあります。最初に滞在した地方の教会には、小教区内に二十ほどの巡回教会があり、司祭について徒歩やボートで次々に教会を訪問し、ミサのお手伝いをするという毎日でした。
その地域は多くの村に電気が来ておらず、水も、井戸のある村とない村がありました。そのうちの一つの村のことを紹介します。たぶん二十世帯くらいの小さな村で、家は竹でできていて、人々の暮らしはとても素朴です。その村には井戸があって、村の人、そして近隣の、井戸がない村の人々も水を汲みに来ていました。
その村には、何らかの病気のため、自分で立ったり、動いたり、話したりできず、いつも窮屈そうにベビーカーに乗せられている五歳くらいの女の子がいました。ここでは、Aちゃんとします。Aちゃんのお母さんが朝一番にすることは、Aちゃんをベビーカーに乗せ、村の真ん中にある井戸に水を汲みにいくことです。
井戸には、その村や、となり村の女性や子どもが集まってきて、井戸端会議が始まります。皆さん、水汲みの順番を待ちながら、実に楽しそうに話しています。Aちゃんのお母さんは、水を汲み終わると、Aちゃんを井戸に残して家に帰ります。この村では、井戸に水を汲みに来る人たちが、Aちゃんのお世話をするのです。とても楽しそうに。
その村は、明らかにAちゃんを中心に回っていました。話すことも、動くこともできませんが、Aちゃんが人々を幸せにする村の主役でした。人を助けて当たり前。人に助けられて当たり前。まったく自然なこと。そうやって日々が回っている村でした。
この村にも問題はたくさんあります。近くに病院がないため、ちょっとした風邪や病気で亡くなられる方もいます。でも、平和でした。きっと私は、たとえいろんな問題があっても、人を当たり前に大切にする人たちを、平和だと感じるのだと思います。私は、平和な世の中のために何かしようとするとき、いつもこの村のことを思い出すようにしています。