「心の糧」は、以前ラジオで放送した内容を、朗読を聞きながら文章でお読み頂けるコーナーです。
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(月~土)毎日お話が変わります。
坪井木の実さんの朗読で今日のお話が(約5分間)お聞きになれます。
「主はわたしの岩、砦、逃れ場 わたしの神、大岩、 避けどころ わたしの盾、救いの角、砦の塔。」詩編の言葉(18・3)。
旧約時代の人々は神を「私の拠り所」として、岩、砦、盾、城壁などと呼んでいます。神は苦難にあって隠れ家、避けどころ、逃れ場。窮地にあっては私たちを救い出し、そのみ翼の陰にかくまってくれる。そんな信頼をおいていました。
それもそのはずです。こうした神の堅固な砦に比べて、「人間は息にも似たもの 彼の日々は消え去る影」(詩篇144・4)なのですから。
日が昇り、日が沈み、流れゆく自然のサイクルに生きながら、神が岩砦、逃れ場となる一方で、人がどんなに脆く儚いものであるかを実感していたのです。
「主は我らの牧者、私は乏しいことはない」(参 詩篇23)。
神と人との関係を羊飼いと羊との関係に譬えています。それだけ依存と信頼によって、親しく生きていたのです。
神は私たち一人ひとりを名前で呼び、その名を手の平に刻む。それほど愛おしいものと感じてくれています。
「あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする。」(ヨハネ8・32)。
この「真理」という言葉は、実は神に頼ることを意味しました。神に依存することで、人はかえって自由になれる。
子どもは親に頼り、甘え、その信頼のうちに育まれます。この依存とまったき信頼がなければ、人は育つことも、生きていくこともままなりません。
私たちはやたら独立することばかりを教えられます。その最終的な理想も素晴らしいのですが、自立に至るには、充分に人に頼り、甘え、与えられることによってはじめて可能となります。
神は岩、砦、隠れ家。それにたいして、人は葦、吐く息にして影。
それでも、神に頼る術を知ることで、なんとか生きていくことができる。そんな気がしています。