人という漢字の姿にある様に、私たちは支え合って生きています。互いのことを思いやり、大切にしながら生きる。自分という小さな存在が受け止められ、大切にされているのを実感するとき、それは生きるための大きな力となります。
現在修道司祭として歩んでいる私ですが、2002年末、大学を卒業してから勤めていた会社を辞め、次の春から修道生活という新たな道に進もうとしていた時のこと、退職の前後それまで長年お世話になった方々にお会いしてご挨拶させていただき、そして多くの方が送別会を開いて下さいました。
「頑張って」「行ってらっしゃい」など、多くの励ましの言葉を掛けていただきましたね。温かな言葉をいただいて嬉しく思うと同時に、お別れするんだなぁという、一抹の寂しさも感じていたでしょうか。
そのような中、送別会の折、「戻ってきたら歓迎会を開いてあげる」。この様に仰って下さった方々がおられました。とても心に染み、新たな歩みを歩みだそうとする私に大きな力を与えてくれました。
新しい道に進むことを祝って喜んで送り出してあげる。もし戻ってきたとしても喜んで迎えるわね。その様な想いでその同期たちや先輩方は送り出して下さったのでしょうね。
ちっぽけな私のありのままの存在を丸々受け止め、包んで下さったこの一言は、私の中で特別なこと、特別な言葉として、宝物としてずっと大切にしています。
言葉は人の心の現れ。その言葉、その心に触れて力をいただき、大きく変えられながら、私たちはともに歩んでゆく様に思います。私たちの語る言葉が人を思いやり、人を大切に包む言葉であります様に。いただいた言葉を大切にして、歩んでゆくことができます様に。
昨年11月に来日された教皇フランシスコは、日本人に深い感銘を残されました。教皇の立ち居振る舞いや表情は、気さくで親しみやすく温かいもので、各地でのスピーチもそれぞれの立場の人に寄り添う内容のものでした。
その様子や公式スピーチはネットにアップされ、何度でも振り返ることができます。
さて、ここで取り上げる教皇の言葉は、一般には知られていないもので、広報担当の日本人司教がスペインのカトリック雑誌に紹介したものです。
来日初日、冷たい霧雨が吹きつける羽田空港に到着した際、教皇は待ち受けていた高校生たちに近寄って、出迎えの感謝を述べた後、次のように言われたそうです。
「歩きなさい、そして倒れなさい。そうすれば起き上がり方を覚えるでしょうから」
若者への愛と信頼をともなった温かな眼差しが感じられる言葉だと思いました。
一般に日本の若者は、失敗を恐れて縮こまる傾向があります。困難に出会うと夢に向かって歩くことをあきらめてしまう人もいます。
多くの大人は、「歩きなさい」とは言うでしょう。しかし教皇は、「そして、倒れなさい」と言われるのです。
なるほど。倒れる、失敗する経験も大事です。それがなければ起き上がり方を学べません。起き上がり方を知った人は、また歩き始められます。何度倒れても、何度でも起き上がり、目指す夢に向かって前に前に進んでいけるのです。
聖なる人とは、倒れなかった人ではなく、何度倒れてもその度に立ち上がった人です。
当時82歳の教皇も、倒れることを恐れず、日本での超過密日程をこなされた、常にチャレンジする人です。教皇の言葉はその姿を思い出させ、今も私を励ましています。