ある人の一言

松浦 信行 神父

今日の心の糧イメージ

 先日、私がスタッフをしている、神父の養成の場・神学校の卒業生から、叙階式の案内状が送られて来ました。叙階式の中で神父は誕生するのです。そしてその案内状の隅っこに、一言自筆でこう書き加えられていました。「スタッフの皆様に恵まれ、私たちは安心して生活することが出来ました。さりげない暖かさと優しさがうれしかったです」と。

 その文章を見て、そんな風に意識してなかったのになあという思いがこみ上げてきました。1年前に、スタッフとして神学校に赴任し、9年前にスタッフだったことも何の役にも立たず、目の前のこと一つ一つに体当たりで臨み、とにかく笑いの雰囲気だけは保つように注意するといった無我夢中の一年、というのが正直な気持ちだったからです。

 でもよく考えてみると、その一生懸命さが、学生からしっかりと見つめられていたのだなあという思いが沸き起こってきました。

 そして、この言葉をしっかりと心にとめ、褒められたと思って素直にまた学生たちと向き合ってもいい、そんな元気さを伴う確信も生まれ始めたのです。

 私の友人の神父は、話し合いの中で、「人物批評をするとき、良いところを誉めずに、彼にはこれが足りない、この部分が良くないと言うと、賢明な人だと見られる傾向が社会にはあります」と発言し、続けて「でも、良い点を指摘することで人は元気をもらうのですよね。これが人を活かす言葉ですよね」と指摘したことがあります。

 「誉め言葉をすぐに否定はしないで、その言葉の奥にある思いを活かせるように、そして同じような人を活かす誉め言葉を発する人になりたい。」そんな決心を私にさせてくれた、友人の一言でした。

ある人の一言

村田 佳代子

今日の心の糧イメージ

 「門を叩け、さらば開かれん」「狭き門より入れ」「祈りを常にせよ」「汝の隣人を愛せよ」。朝、教室のきれいに拭かれて黒く光った黒板に、日付と共に毎日書かれていた文語体の聖句です。

 校内放送で前奏が流れると、子供たちは慌てて起立し、その日の讃美歌を歌います。その日の聖句について簡単な解説があり、最後にみんなで声を合わせて聖句を唱えます。

 ミッションスクールの初等部に在学した6年間、始業までの10分間、毎日の事でしたから福音書の聖句は殆ど暗記しました。文語体はリズム感があり、子供心に有難い大切な言葉だと感じられ、口語訳の聖書に変わったときは大分戸惑いました。

 よく対談の時など座右の銘はと問われるのですが、一般的な言い回しが良さそうと判断したときは「隗より始めよ」と「虎穴に入らずんば虎子を得ず」を取り上げます。心の中では「門を叩け」と「狭き門」の同義語と捉えてのことです。

 "ある人の一言"というテーマを頂いて、様々な出会いの中で聞いた励ましの言葉、慰めの言葉、教訓など、沢山の言葉が心に残っていますが、一つにはとても絞り切れないと思いました。どんなエピソードから探そうかと思案する中、「三つ子の魂百まで」というように、子供の頃が懐かしく思い出されたのです。そして友人、恩師、親族など多くの方から頂いた温かい言葉に支えられて今日までの人生を歩んでこられたことに感謝するとともに、深く合点がいきました。

 それは思い出の中の一言は殆どすべて聖書のみことばに置き換えられるということなのです。

 今更ながら、毎朝、主なる神様からの一言を頂いていたのだったと思うと、初等部時代の日々が宝物に思えるのでした。


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