ある人の一言

末盛 千枝子

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 昔、大学生の時に参加した春の黙想会の時だったと思いますが、こういう話を聞きました。「天国では全ての愛が矛盾なく存在する」というのです。本当にびっくりしました。そして、天国というところの説明として、とても納得のいくことだと心から思いました。

 子供の時から、天国では花が咲き、小鳥が鳴き、というように教わって、天国とはそういうところなのだと思っていました。確かにそういうところでもあるでしょうが、それよりも、不安や困難を抱えて大人に成りかけていた私にとっては、「全ての愛が矛盾なく存在する」という言葉は想像をはるかに超えた素晴らしい説明に思えました。それは一生をかけて憧れるに足ると思ったのです。考えてみれば、ただ花が咲き、小鳥がなく、というだけでは、美しいけれどなんだか物足りないような気がします。人間の愛や悲しみに対しての説明がないからでしょうか。

 そして、それに関わって思い出すのは、この頃みませんが、以前にテレビでニューヨークのアクターズ・スタジオという役者のための学校の番組がありました。毎回いろいろなスターたちが出て、自分の困難な時代の話などを司会者の質問に答えて話すのです。そして、最後に必ず、「天国に着いたらなんと言いたいですか」と聞かれるのです。あるいは「なんと言ってもらいたいですか」だったかもしれません。みんなそれぞれ、とても素敵でしたが、その中で、一番忘れられないのは、メリル・ストリープという女優さんが「天国に着いたら、後ろに続く仲間たちに、あんたたちも一緒に入りましょう、さあ早く、早く」と言って、みんなで一緒に入るというのです。なんて素敵な人だろうと思いました。

ある人の一言

三宮 麻由子

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 「間違えてもいいのよ、さあ、弾いてごらんなさい」

 これが、小学3年生から社会人になるまでの20年余りお世話になったピアノの恩師、紀(のり)先生が最初に私にかけてくださった一言でした。ミスタッチを一切許さなかった前の先生のレッスンに耐えられなくなっていた私にとって、この一言は救いとなり、ふたたびピアノへの情熱を呼び覚ます転換の言葉となりました。

 先生はフランスの世界的なピアニストの愛弟子でしたが、偉ぶることなくレッスンしてくださいました。そしていつも、「音楽は、まず感じて楽しむことよ。間違えたっていいのよ」と繰り返し言い聞かせてくださったのです。

 結局、私はピアノを仕事に選びませんでしたが、離れることはありませんでした。いまも、紀先生と同じくフランスで歴史的なピアニストに師事して世界で活躍されている先生にレッスンをしていただき、勉強と演奏活動を続けています。

 さすがにいまは、間違えてもいいと思って弾いてはいませんが、紀先生の言葉は常に心に響いています。まずは感じて楽しむこと。そして真に感じるには、ちゃんと間違えて、ちゃんと正すという行程が必要なのです。

 イエスは、「あなたがたの中で罪を犯したことがないものが、この女にまず石を投げなさい」と言いました。(ヨハネ8・7)熱心なクリスチャンだった紀先生の言葉とともに、私はいつも、イエスのこの言葉を思い出します。罪と間違いは違いますが、失敗を「当然起きるもの」として受け入れるという視点は同じだからです。

 いま師事している先生が大人の私を受け入れて教えてくださるのも、私が自分のミスを素直に直視できるからかもしれません。間違えて正す経験は、神様の恵みなのでしょう。


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