ある人の一言

岡野 絵里子

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 或るホテルで出版記念パーティが開かれた時のことである。私は出席できなかったので、代わりに花束をお贈りすることにし、その旨を幹事の方に連絡しておいた。ところが当日、何の手違いか、花束はパーティ会場に用意されていなかったのである。

 多くの場合、花束が届いていなければ、「きっと送り忘れたのだろう」と思われ、そのままになってしまう。しかし、そのパーティで幹事をつとめておられた方は違った。普段は控えめな方だったが、「花束を届けると聞いている。届けると約束したのだから、あるはずだ。」とホテルに対して主張し、譲らなかったのである。彼女の言葉はホテルのスタッフを動かし、考えられ得る全ての場所が探された。そしてとうとう、通常の保管室とは全く別の冷蔵室の奥で、花束は発見されたのであった。

 後からこの話を伺って、私は恐縮したが、それでも信じていただけて嬉しく、人が皆抱えている生きづらさのようなものから、ふっと救われたように感じた。いつもその方は、信頼という灯火で周囲を明るく照らし、人々を励ましておられるのだろう、私もその恩恵に預かったのだとも思った。「約束したのだから、あるはずだ」という真っ直ぐな言葉が輝いて、眩しいほどだった。

 自分を顧みれば、「人は信じられないもの」という前提が、心の中のどこかにあることに気づく。用心のあまり人を信じず、自分をも信じない。それが生きづらさの原因だったのかもしれない。人を信じなければ、あるはずの花束でさえ見つけられないのだ。

 お祝いの花束を見ると、信頼という恩恵に預かったことを思い出す。そして静かな力が湧いて来る。

ある人の一言

越前 喜六 神父

今日の心の糧イメージ

 大学生のとき、わたしは学生寮に住んでいました。

 大学では古典語のラテン語を主とする哲学を専攻していたので、月曜日から土曜日までの毎日、1、2時限にラテン語の授業があって、わたしは1週間、その学習に四苦八苦していました。

 ある日、授業を終えて寮に帰ろうとしたとき、フランス人の宣教師で教授をされていた先生に呼び止められて、こんなことを言われました。

 「ムッシュ越前、あなたは16世紀のパリ大学の学寮のモットーを知っていますか」と。わたしが「いいえ、知りません」と答えると、先生は、「よく祈り、よく学び、よく遊ぶ」ですよ、と言われたのです。

 16世紀のパリ大学は文字通り総合大学で、多くの学院(カレッジ)を擁していました。その一つが聖バルバラ学院といって、聖フランシスコ・ザビエルや聖イグナチオ・デ・ロヨラや聖ペトロ・ファベルなどが学生として住んでいました。当時の学院というのは、現代の大学の前身にあたりますが、教授と学生が同居する学寮であり、そこで授業も行われていたのです。

 これらの学寮のモットーが、「よく祈り、よく学び、よく遊ぶ」ことだったのです。

 その言葉を先生がわたしに言ったのは、わたしには遊びがなかったからでした。わたしは学生として勉強もその他の活動も熱心にやりましたが、遊ぶお金もなかったし、戦後の貧しい時代、遊ぶというのは「いけない」ことだと思っていました。けれども、それからは友人を誘って、銀座に行ったり、喫茶店に入ったり、音楽を聞いたりなどしたものです。そして、そのお蔭で、神父になってから多くの若者をキリスト教に導くこともできたのではないかと思っています。


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