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わたしが抱く平和

橋本 勲 神父

今日の心の糧イメージ

 かつてキリシタンの方々は差別の意味を込めて「クロ」と呼ばれていました。これは白黒の黒ではなく、クロスすなわち十字架を意味することばに由来するもののようです。

 キリシタンたちは極貧の生活を余儀なくされていたわけですから、衛生状態も悪く、汚れた身なりをしていたに違いありません。

 だから「クロ」は黒く汚れたものという意味で言われていたことも確かです。

 しかし「クロ」の語源はクロスなのです。キリシタンの島、黒島があり、黒崎があり、カクレキリシタンで有名な生月には「黒瀬の辻」殉教地があります。

 今回この「クロ」にこだわりたいのは、クロスすなわち十字架こそかつてのキリシタンたちに心の平和をもたらしたものであり、今もまた平和の具体的形として掲げられなければならないと思うからです。

 クロスとはクロスすること、すなわち縦横に交わることを意味します。

 右と左、それぞれ違う考え、行動、性格など、その違いを豊かさとして捉え、両手をクロスさせ、しかもわが身は真ん中に置き、どちらにも徹底的に交わりながら、しかもどちらにも組せず、両者を天に高め、地に根付かせる、平和づくりの原型を指し示しているからです。

 「絶対わたしの意見が正しい」。議論が白熱するとこんなことばがとび出すことがあります。

 絶対とは神様の別の呼び名です。

 ことばですから、はずみでそんな発言も許されるかもしれません。しかし、その考えに立て籠もり引きこもり、異質の意見を排除するようになっては平和は瓦解します。

 クロスすなわち十字架の形をした平和を、キリスト教では「主の平和」と呼んでいます。