年長者と共に

今井 美沙子

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 先日、新聞を読んでいたら、読者の川柳欄に、そうだ、そうだ、と思う川柳が紹介されていた。 『老人はみんな何かの専門家』

 ずいぶん以前に、本のタイトルも忘れたが、その中に「老人が1人亡くなると、1つの図書館を失う」と惜しむ、外国の話が載っていて、その時にもなるほどと思った。

 私は父母がどちらも末っ子で、私自身も末の方の子どもなので、私が生まれたときには両親の祖父母はもういなかった。

 やがて私が長じて、夫と結婚して、夫の家族と同居した時、80歳のおばあちゃんがいた。母やまわりの人は、舅、姑、大姑と一緒に暮らすことを心配してくれたが、私にはそんな心配はかけらもなかった。

 今まで経験したこともないおばあちゃんとの新しい暮らしに期待に胸をふくらませていた。このおばあちゃんは、私の期待に十分応えてくれた。やさしくて、おおらかで、生活の知恵が豊富で、私に様々なことを教えてくれた。

 質素倹約の人であったが、イザという時にはぽんとお金を出して人を助ける気前の良い人でもあった。

 「生きたお金を使わんとあかん」というのが口癖で、「死に金を使ったら、神さんに叱られる」ともいっていた。

 おばあちゃんは偉いな、おばあちゃんはうちの宝やなと思っておばあちゃんと過ごした。

 わずか2年半後、脳出血で他界した。

 あれから40年余り経ったが、今もずっとおばあちゃんは私の心に生き続けている。

 私の母は「1歳でも年上の人のいうことはよく聞けよ。長く生きちょる分、知恵者じゃけん」といっていたが、私自身71歳になり、これから年下の人たちに何を伝えたらいいのかと自問自答している。

年長者と共に

熊本 洋

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 こんにち謳われている「人生百歳」の長寿社会は、確かに、喜ばしいことですが、長生きとともに、認知症の発症が避けられないのは、残念なことであります。

 だれしも、歳とともに、物覚えが悪くなったり、人の名前が思い出せなくなったりしますが、この「もの忘れ」は、脳の老化によるものだとされています。しかし、「認知症」は「老化によるもの忘れ」とは異なり、「何かの病気によって脳の神経細胞が壊れたために起こる症状や状態」を意味するのだそうです。この「認知症」が進むと、だんだんと理解する力や判断する力がなくなって、社会生活や日常生活に支障が出てくるとも言われています。

 「老化によるもの忘れ」と「認知症」の端的な違いは、前者が「脳の生理的な老化」によるものであるに対して、「認知症」は、「脳の神経細胞が変質したり、脱落した結果起こる症状」であります。「老化によるもの忘れ」は、「忘れっぽいことを自覚」していて、体験したことの一部分を忘れたとしても、ヒントがあれば、思い出すことができますが、「認知症」の場合は、体験したこと自体を忘れてしまい、ヒントがあっても思い出せないと言われ、「忘れたことの自覚」がありません。

 このため、「認知症」は、日常生活に様々な支障を来たし、困惑、混乱の原因となります。

 そして、アルツハイマー型認知症になりますと、新しいことが記憶できない、思い出せない、時間や場所がわからなくなると言われています。

 年長者となった私自身、今後このようなことに一層留意した生活を送る必要があると認識させられています。


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