年長者と共に

植村 高雄

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 共に過ごした年長者といいますと、母と父を懐かしく思い出します。さらには恩師、仕事の大先輩、私の人生を支えて下さった沢山の恩人たち、思い出しても胸が熱くなる、あの方々に手を合わせて感謝しています。今の私の幸福感は全てあの大先輩たちの優しさからです。

 更に年齢不詳の方がもう一方おられます。不謹慎な、と怒られそうですが、私が心から愛し、尊敬し、信頼しきった方です。その方とは私が信じている神様のことです。年長者という言葉を思索している内に沢山の先輩から受けた色々の支援と愛情を思い出し、さらには、その愛情の源を考え出しましたら、どうしても私が信じている愛である神様のことが心の中に大水のように流れ出すのです。

 第2次世界大戦が終わった時、私は小学校3年生でした。以来、今日まで、無数の大先輩が私を支援して下さって、今日まで生きてこられました。その愛の源泉は、どう思索しても私が信じている神様に繋がっていくのです。頂いた無数の年長者の愛情を、今は後輩に恩返しの意味で教育事業として展開しています。

 私が信じている神様は、愛そのもの、宇宙万物の創造主、全知全能の方、三位一体という不思議な方、十字架の贖罪と復活の神、そのような不思議な神様と共に生きています。

 このような神様と何故、出会えたかと言いますと、戦後の混乱した疎開先での日々が私の心まで乱れさせ、このままだと自分は駄目になるなあ、と少年なりに苦しんでいました。そんな折、偶然のようにドイツの神父さんと出会う運命になります。その神父に反抗しつつ神様を意識する人生を迎えます。

 今までお世話になった年長者の背後に私の大好きな神様が動いておられたのだなあ、としみじみ思います。

年長者と共に

湯川 千恵子

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 家を建てて引っ越した時、同じように越してきたご近所10軒で生協の共同購入班を作りました。私たちは子育て真っ最中の若い主婦でした。週に1度配達される食品や日用雑貨を受け取りながら、スーパーの安売りなど生活情報を交換して助けあいました。そしていつしか40年・・・、子どもたちは社会人となり、孫たちもふえて、私たちはおばあちゃんになりました。病気で施設に入った方、引っ越された方もいて、今は6人の班ですが、長年の生活基盤の絆は益々有り難みを増しています。

 先日も仲間に誘われて学区内の65歳以上で一人住まいの方が対象の食事会に行ったところ、70人あまりの参加者がいて驚きました。地域の婦人会の役員やボランティアの方の手作りランチは、炊き込みご飯に煮物やサラダ、汁物、デザートもついて会席料理のようです。それがわずか200円。昔懐かしい歌を歌い、健康体操の指導も受けて楽しい半日でした。こうした食事会が年に6回行なわれているのです。

 私たちが若い頃、近所に高齢者がいなかったせいか、こんな奉仕をした記憶がありません。これも高齢化が進む社会情勢の変化かと、有り難いやら申し訳ないやらです。

 月1回行なわれる近くの病院のロビー講演にも仲間と出かけています。ここも高齢者で大盛況。「知って治そう!脳卒中の最先端治療」、「認知症にならないための生活の知恵」など、私たちが知りたいことを院長が易しくお話下さるからです。 

 私の生協仲間は、時代が激変する中で家庭を守り、近隣と仲良く、賢く生きる「主婦の鑑」の様な方たちで、私は彼女たちに助けられてきました。最近は特にそうなのです。これからも共に生活できる幸せを感謝しています。


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