これを見た、あれを見た、こうだああだと報告しているうちはそれだけの話なのですが、そこでわたしは・・・と自身の行動を振り返った時、これで良かった有難うになったり、あれで良かったのかしら不注意で御免なさい、もっと頑張れたのに御免なさい、相談すれば良かったのに御免なさい、となるわけです。反省して後悔することで、どうやって状況を改善できるかを考え、天のお父様に一緒に居て下さい、教えて下さい、助けて下さいとお願いしていたようです。
教会学校に通うようになって それまでの会話習慣が祈りだったと知り、改めて亡き父に見守られてきた実感を持つと共に、父なる神の存在について学びました。
成長に従って諸聖人や先人方の美しい祈りを唱えたり、聖書のみ言葉を黙想して祈ったり、世界人類に及ぶ祈りやロザリオの祈りになったり、長い祈りもあり短く祈るときもありますが、結局今日まで、基本的には子供時代からの流儀で神様への祈りをお捧げしています。
「父なる神よ、み旨に従って生きる子に道を示し、何時も共に歩んで下さい。」
その彼は、その映画が話題になる直前にクリスチャンになっていましたが、それ以前は、クリスチャンに対して良い感情を持っていませんでした。
彼は、結婚し、娘をキリスト教の幼稚園に通わせていました。その関係で、お母さんがクリスチャンになり、よく子供と一緒に教会に通っていましたが、それをあまり快く思っていませんでした。
そんなある日、娘が近所に遊びに出て交通事故に遭ってしまい、すぐに病院に搬送されましたが、手遅れでした。
彼は、冷たくなった小さな娘の前で、泣き続けました。そのとき自分がどれほど娘を愛していたかに気づいたのです。
娘のために何かしてやりたい、そう思った彼は、その子の生前の姿をいろいろ思い浮かべてみました。すると、いつもその子が、家にあるイエス様の御像の前で、手を合わせて祈っていたことを思い出したのです。
とても愛らしく、真剣になって祈っている姿、そこに何かあると彼は考え始めました。
そして、1年後、奥さんに勝るとも劣らない熱心なキリスト者になっていたのです。
子供の祈る姿、そこには何物にも代えがたい真実があるのかもしれません。