▲をクリックすると音声で聞こえます。

わたしのクリスマス

橋本 勲 神父

今日の心の糧イメージ

 宗教の世界では聖なる場所とか聖なる雰囲気など、よく「聖」ということばを使うことがあります。

 お寺とか神社の境内、大聖堂の中など、聖なる雰囲気が漂い、理屈抜きにありがたい気持ちになります。

 ですから、聖なるものはこの世界になくてはならない、とても尊いものです。

 ところで聖なる場所のことを聖域ともいいます。どちらも同じことなのですが、これに「化」という字がくっついて「聖域化」ということばになると、少々違った意味に使われることがあります。

 さらに、聖というとその反対側にあるものとして、「俗」ということばが使われるようになります。

 この世界を聖なる場所と俗なる場所に仕分けしていくのです。そしてその両者に具体的イメージをくっ付けて、ここは聖なる所、ここは俗なる所として、決め付けてしまうようになります。

 たとえば、失礼ですが、ジャラジャラと騒々しいパチンコ店や、酔っぱらって大騒ぎをする宴会の場などを聖なる場所とは言わないでしょう。まして、豚小屋、牛小屋は聖なる場所とは程遠いものです。このことにほとんどの方々は納得し、反対する人はいないのではないでしょうか。

 

 もし、異議を差し挟むお方がいるとすれば、それは、イエス・キリストご自身ではないかと思います。なぜなら、糞尿の匂いふんぷんたる馬小屋にお生まれになったというのですから。

 聖域に籠り、俗なる世界を勝手にでっち上げ、これを差別し、引きこもりの世界づくりに手を貸してはならない。馬小屋に眠る聖なる幼子は、安らかな寝顔でこんな強烈なメッセージを世界に向かって発信しているようでもあります。

 全世界に自らの聖なるいのちの息を吹き込むかのように。