思い起こすと、心が荒れていた高校時代に偶然のようにカトリック教会を訪れ、ドイツの神父さんに遭遇し、それが契機でカトリックの信仰が恩寵のように与えられました。私が信じた神様は、有難いことに愛そのもの、宇宙万物の創造主、全知全能と言われる方でした。
日本でも海外でも飛行機事故や政治暴動等、色々の困難に遭遇しましたが、自分の信じる神様を信じながら対処していたようです。どんな両親か、恋人か、親友か、上司かで我が人生が自然に形成されたようです。それだけに現在、自分が置かれている自然環境を、時々立ち止まり、冷静な視点、例えば、人生での希望の持ち方、基本的な人間への信頼感のありかた、愛の在り方、意志力、人々への世話をする態度、生き抜く知恵を再点検する必要があるようです。
厳しい人生は今後も続くでしょうが、愛である神様と出会ったお陰で子供のように安心している自分が不思議でなりません。
そういえば、神父の卵の養成で那須にいた頃は、東京から自動車を運転して、目の前に茶臼岳が見えると、「帰ってきたんだ、また神学生たちと一緒に生活、がんばらないと」という思いがこみ上げてきましたし、東大阪に住んでいた頃は、生駒の山並みを見ると、「もう休暇は終わり、これから仕事だ。」と、心がリセットされたことを思い出しました。
人間には、見慣れた日常という環境があります。そして、この見慣れたものが、次の1歩を生み出す元気を与えてくれるということがあります。
このように考えていると、「オー・ゴッド」という映画の一場面が思い出されました。
ジョージ・バーンズ扮する神様が、ジョン・デンバー扮するスーパーの副店長に現れたとき、その副店長は、神様が現れたとパニックに陥りました。そこで神様は言います。「いつものように、ひげを剃りなさい。いつものことをやっていると落ち着きますから」。それで副店長はひげを剃りながら、落ち着きを取り戻し、神様と話すことができました。
山という、自然を映し出す風景が、その風景を見ながら生活する人々の、些細な日常生活に生きる基盤を与えていること、すなわち、私たちを支える基盤を自然の中に見出すのです。