夢から覚めて、すっかり忘れていた当時のこと、一緒に遊んだお菓子屋のAちゃんや日本舞踊が上手だったYちゃんのことなどが懐かしく思い出されます。とにかく毎日外で友だちと暗くなるまで遊んでいました。
夕暮れになると、庭の月見草の蕾が、まるで硬く巻いた傘がパラリ、パラリと回りながら開くように次々と咲くのを歓声を上げながら飽きず眺めていました。また、ある夜は、蛍を篭に一杯採って家に持ち帰り、座敷に吊った蚊帳の中に放したら、50匹ほどの蛍が青白い光を点滅させながら、ゆらーり、ゆらーりと飛び交う様が何とも美しくて、長年寝たきりの伯母が涙を流して喜んだこともありました。
自然豊かな田舎町で、木や草花や昆虫などと一緒になって遊び暮らした子ども時代のことが、傘寿を超えた私に夢となって出てくるのを、面白くまた懐かしく思います。俗に『本卦還り』と言われるように、歳を取ると子どもに返り、その人の本性がでるからでしょうか。
子どもの頃に自然から与えられた喜びや感動の体験は、私の感性を育てる豊かな土壌になったと思います。それがその後の私の人生で出遭った様々な困難を、前向きに明るく乗り超える勇気と力になったと、今にして思うのです。
鳥も季節によって、いろんな種類の鳥が見られます。留まるところもなぜか同じなのです。毎年2月頃には、はやぶさがこのあたりにいたなあと思いながら車を走らせていくと、たいてい出会うのです。そして、こちらがスピードを落とすと、気がついて、こちらをジッとにらみ、少し離れたところに飛んでいきます。
そして、家の屋根裏にムクドリや、アオゲラが巣を作ってしまいます。穴を開けるために、こんこんコンコン、まるで大工さんが来ているのと同じような音をさせています。本当の大工さんは、それが気に入らないようで、なんとか穴を塞ごうとするのですが、どうしても、うまくいきません。
こういうことを通して、つくづく思うのは、多くの生き物たちが住む自然が、この地球が、人間のためだけのものではないということです。